ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

小説のジャンルと視線 あるいは文章に於ける可能性の拠り所

「SFはパースペクティブでファンタジーはオルタネイティブだ」というのがザブングルの主人公*1なのです。「ミステリーは昇華だ」と続くのですがこれを「sublimate」と直訳しても意味が通じそうにないので上手い言い回しを考えたいところ。「シフトアップ」とか、駄目かなあ。

パースペクティブな視線として挙げられるのは「宇宙のランデヴー (ハヤカワ文庫 SF (629))」や「火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114)」のラストシーンで、あの場面で得られる感慨はSF以外に有り得ない。スペキュレイティブで在り給えってヤツだな。
オルタネイティブなそれとしては「怪談・奇談 (講談社学術文庫)」とか。ラフカディオ・ハーンの目を通して描かれた古来の日本社会は、明らかに実在したそれとは異なるものです。なにか「違う」ものを書くことで、現実とは別の可能性を示唆する。
昇華で一番いい例は「オリエント急行の殺人 (新潮文庫 ク 3-4)」で、謎解きといい読後感といい鮮やかで爽やかな作品ですが、やってることは単なる集団リンチだったりする(笑)

と、ここまではこれまで色んな所でなんども書いてきたことですが今日ようやく「純文学とはなにか」がわかった気がしました*2

純文学って「現況」だと思うのですよ。19世紀ロンドンの強欲な金持ちであれ21世紀東京の気怠いOLであれ、その人物の、その物語の示す可能性や視線は現在只今の状況に向けられていると思う。「いま、そこにあるもの」は「いま、そこにしかないもの」である。
例示として挙げられるのは「砂の女 (新潮文庫)」「箱男 (新潮文庫)」「第四間氷期 (新潮文庫)」「密会 (新潮文庫)」「けものたちは故郷をめざす (新潮文庫 あ 4-3)」とかでしょうかなんで全部安部公房なんだよってツッコミは不可だ!現況しかない!!人物も、物語も、視線も、可能性も、全部だ!!!

…今の自分の労働状況がそうだOTL

わーい純文青年ですよおれ(棒読み)

純文的労働状況とは!

「円盤が来た!」

といくら叫んでも円盤なぞ来ないと言うことである。いやホント来ねえなぁ、円盤。

*1:ジロン

*2:以前提唱した「純文学とはロゼッタストーンの解読だ」説は撤回します