
- 作者: レイモンド・チャンドラー,村上春樹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/03/08
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 100回
- この商品を含むブログ (279件) を見る

- 作者: レイモンド・チャンドラー,清水俊二
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1976/04
- メディア: 文庫
- 購入: 11人 クリック: 89回
- この商品を含むブログ (232件) を見る
村上春樹の新訳を読みつつ、要所で清水俊二の既訳を参照。さも当然であるかのように元々印象付けられている清水訳の方が好みだ。地の文は「私」、会話文中では「ぼく」であるところのフィリップ・マーロウはどちらも「私」であるマーロウより好感が持てる。
ただこれはおかしな話であり、チャンドラー本人は一人称の差異など書いてはいないし、そこから導き出されるキャラクター性など一片の考慮もしていない。村上訳の方がある意味では正確であり、これまで「THE LONG GOODBYE」という作品は日本でいささか不幸な読まれ方をされていた…と言える…かも知れない。
しかしやはりそれは幸福なことなのだろう。小説は論文ではないし、翻訳は解読ではない。
そもそも清水訳では「長いお別れ」って題名が既に疑問点であって、せめて「永い」とかにすべきだったんじゃないかという話があって例のこの場面、
こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった。
さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ
ちなみに村上訳では
フランス人はこんな場にふさわしいひとことをもっている。フランス人というのはいかなるときも場にふさわしいひとことを持っており、どれもがうまくつぼにはまる。
さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ
となる。時間ではなくて量的概念なんだな。お別れを言うことで他人との関係性が損なわれ失われるとか、そういうことか。
いずれにせよ本を読むのはわずかのあいだ別生を生きることであって、自分の生きたいと願うマーロウは清水訳のマーロウだなあ…