ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ロドリク・ブレースウェート「アフガン侵攻」

アフガン侵攻1979-89: ソ連の軍事介入と撤退

アフガン侵攻1979-89: ソ連の軍事介入と撤退

副題には「ソ連の軍事介入と撤退 1979-89」とあるが本文はもう少し先、プーチン政権下に於ける現代ロシアのアフガン帰還兵の現状までも含む。

マーチン・ファン・クレフェルトに曰く「現代の正規軍が、今や急速に現代戦争の主要な形態になりつつある戦闘を行うのに役立たなくなっている」*1の端的な例と言えるような内容。硬直した旧い政治力学に基づいて派遣された軍隊が、何らの戦略的目標を達することができぬまま多くの犠牲を払って撤退し、長年にわたる支出と損害は派遣母体となった国家その物を揺らがせ崩壊に導いた――と、概括すればそんなところですか。実際には旧ソ連のアフガン侵攻は(よく対比される)アメリカのベトナム戦争よりは規模も小さく、仮に派兵が行われなかったとしても遅かれ早かれソビエト連邦のシステムは自壊していたであろうと、あまり影響を過大視すべきではないとも説かれている。あの戦争の実体はなんだったのか、なぜ発生しどのように推移し、誰がそこに携わったのか、リアルタイムでは正確な情報の伝わりにくい状況であったし、どちらの側もプロパガンダに熱心であったし、その紛争後のアフガニスタン事情はもっと混沌として現在にまで至ってるしで、こうして一冊まとまって冷静な筆致で書かれた資料は貴重です。*2

およそ「近代」とか「近代化」といった概念自体が西欧文明を中心とした一種傲慢で暴力的な視点であって、寒村に井戸を掘って生活を安定させようとか、女子児童に基礎教育を施して社会進出の足がかりにしようといった「善意」に基づく行動に反対する勢力が出てくるのはむしろ当然で、そのことに驚きを感じる人はなんていうかな稚いなと思うのだけれど、それでも寒村に井戸を掘って生活を安定させようとか女子児童に基礎教育を施して社会進出の足がかりにしようとする試みに銃撃を浴びせてくるような勢力を容認する気はさらさらないのでやっぱり自分も西欧文明を中心とした一種傲慢で暴力的な視点からは、逃れられそうもない。

アフガニスタンの地に「近代文明」が達してからこっちずーっと戦争続きなのは、ひとつには地理的情勢が大きいのだろうけれども、そこに生活する人間の気質も多いに影響してそうで、なんでこんなにアフガン人は内ゲバばっかりやっているのだろう…。あの地域に住んでいる人々を「アフガニスタン人」と規定しちゃうことが、そもそもの誤謬のはじまりなのだろうけれども。

勢力の大小は必ずしも善悪の判別を付けない。一般には「弱者=善」と捉えがちだし攻撃されている側を守りたいと願うのは安寧した地位に居座る第三者の態度としてはおそらく自然なのだろうけれど、

そんな関連性はないのだ、たぶん。

*1:「戦争の変遷」による。1991年の原著刊行なのでその後の人類と科学技術の進歩や発展についてはまあ、別かも知れない

*2:ちょっと前に「アフガン帰還兵の証言」asin:4532161754という本があってこれも貴重な証言内容でした