ジャンルのくくりに困ったのでとりあえずこの分類に入れておく。駄目な図書館である(笑)
もともと東京創元社の1月刊行リストに第一次大戦下の図書館を扱った「わたしたちの図書館旅団」というのが載っていて興味を持ち、同じ著者の前作として知ったもの。やはり「戦争と図書館」を扱った内容で、第二次世界大戦の時代、ナチスドイツのパリ占領下で運営された「アメリカ図書館」*1に務めるひとたちの物語。
そう聞くと抵抗運動とかスパイ組織の暗躍みたいなことを考えがちだけれど、むしろ市井の、戦時下での日常生活とそこに侵襲する戦争の影。みたいな話で「この世界の片隅に」が好きな人には刺さりそうな気がする。
本編は2パートの構成で、戦争の危機が迫る1939年のフランス、パリ(仮に大戦パートと呼ぶ)と、大韓航空機撃墜事件直後の1983年、冷戦たけなわのアメリカ、モンタナ州フロイト(同じく現代パートと呼ぼう。決して現代ではないのだが)から始まる。2つのパートが相互に響くことでひとつの物語を作っていくのだけれど、ボリュームとしては7:3ぐらいで大戦パートの方が多いかな。大戦パートでは新米図書館司書としてアメリカ図書館に就職したオーディールの視線で、迫りくる危機と時代の奔流を描き、現代パートではティーンエイジャー少女リリーの視点で、てっきり核戦争の脅威を描くのかと思ったら、こちらは完全に家庭や友人との関係性の中で自らを構築していく成長小説だった。リリーの隣人として登場する孤独な老婦人が”オーディール”であることは早々に明かされ、なぜパリの女性がアメリカで隠遁しているのか、というのはひとつの謎解きとして機能している。
やはり話のメインは大戦パートで、パリでナチというとお決まりのストーリーを考えそうなものだけれどなかなかそうはならなかった。オーディールの父親も恋人も警察官で、双子の弟は反戦運動に熱心な学生だときけば、これはただちに全員強制収容所送りか処刑ではないか……と考えたけれど、そうはならなかった。弟のレミーは開戦するやいなや即座に志願し即座に捕虜となり、しかし西方戦役の捕虜なのでそこそこ待遇はよく、生きて収容所から手紙を送ってくる。「捕虜となった家族が生きている」ことは、オーディールにとって希望であると同時に、枷でもある。警察官であり、厳格な家長でもある父親は占領下のパリでも治安維持に努め、家族との距離は開いて「会合」に出るようになるけれど、父親の仕事の中身をオーディールが(そして読者が)知った時には、決して心地よい感情を抱けはしないものだった(だろう)。献身的な恋人であるポールが、戦時下の社会でずっと圧迫されていた感情を激発させた時には、事態は取り返しがつかないことになる。
オーディールを取り巻くのは家族や恋人だけではなくて、むしろ図書館の職員や登録者たちとの関係性の方が重いものだ。ここでは(何しろアメリカの図書館なので)、対独開戦からフランス降伏までと、アメリカの参戦までにタイムラグがあることが緊迫感を増していて、それがよかった。イギリス国籍者が敵性外国人に分類されてもアメリカ国籍者はまだそうではない、そうではないがいずれ……みたいな空気。オーディールがひょんなことで知り合ったイギリス外交官夫人のマーガレットや、レミーと恋愛関係となる同僚のビッツィとの友情は、戦争の推移や環境の変化で時には軋轢を生み時には支え合ったりもする。だが、しかし。
巻末の「著者の覚書」でようやくわかったのだけれど、パリのアメリカ図書館というのは実在する施設で、設立100年を越えていまでも開館しているのですね。本作の登場キャラクターにも実在の人物、実際に起きた出来事が反映されている(ゲシュタポに撃たれた職員も実際のエピソードである)。だからこそか、ストーリーは判りやすく展開しない。誰が善で誰が悪か、などという簡単なプロットにはならない。戦争というのは日常生活のパラダイムを強制的にシフトさせる圧力で、シフトされたパラダイムで進む日常生活では、ひとの振舞いは変わる。平穏な社会では簡単に回復するような人的トラブルが、戦時下のそれでは取り返しのつかない結果を呼ぶことがある。
大戦パートはそういう話か。
翻って現代パートでは母親を喪い新しい家族との関係性を構築することや、友人や想い人との距離感に悩む少女の成長を扱っていて、全体としてはジェンダー小説の意味合いが強かろうなと思います。男性読者と女性読者とでは違うものが見えるかも知れない。そのうえで、リリーが取り返しのつかない行為に及ぼうとしたそのときに、年長者の友人であるオーディールが、自分自身の経験を通じて、止めることが出来る。出来た。それがいいのだろうな。エピローグは1989年、モスクワでレーガンが米ソ首脳会談を控えた時代で終わります。冷戦の終わりと21世紀への展望を持てた、良い時代です。
だが、しかし。
