adaptaitonとは「適応、適合」といった他に「翻案、脚色」という意味もあるそうです。単なる総集編ではないというお話もあったので、見る前の推測としては新約版Zガンダムのようなものを想像していました。
「5分までの世界」がこの動画なんだけど、実はこれ本編そのままではなかったんだぜ?
以下ネタバレにつき例によって例のごとく
続きを読むストーリーを説明するのがちょっと難しいのでまずamazonから内容紹介を引っ張ってくる。
秘密の力を持つ7つの本をめぐり、図書館・読書室の暗闘がはじまる。
叔父の遺産を処分するため、青年アレクセイはウクライナからロシアに向かう。そこで出会ったのは、亡き叔父を司書とする「シローニン読書室」の面々だった。
忘れられた社会主義時代の作家グロモフの7つの本(「記憶」「力」「喜び」「忍耐」「権力」「憤怒」「意味」)。恐るべき力を秘めたこれらの本を、「図書館」・「読書室」が血で血を洗う決闘によって奪い合う。
知略に富んだ慈悲深きマルガリータ、鎖分銅の使い手チモフェイ、長剣の名手ターニャ、ルーブル硬貨で鎧を仕立てるグリーシャ……。古強者揃いのシローニン読書室は、やがて強大な「図書館」との抗争に巻き込まれていく。
ソ連崩壊後の世界に生きるひとびとを活写した驚異のスプラッターノヴェルとして、賛否両論ありながらロシアブッカー賞を受賞した問題作、ついに邦訳なる! ! !
すべてのカギとなる本を著わした作家グロモフというのが旧ソ連時代のパッとしない社会主義リアリズム(?)作家で、内容そのものは面白いものでもないしほとんど絶版・廃棄処分されてるところはユニークだった。内容に関わらず現存する7つの本を読んだ者は、それぞれの書物に応じて能力を得る。それが「記憶」「力」「喜び」「忍耐」「権力」「憤怒」「意味」の能力ではあるのだけれど、空を飛んだり手から光線がでるわけでもなく、精神を強化されること、強化された精神が人の行動を強化すること、地味と言えば地味だけれど、例えば「記憶の書」を読んで得られるのは多幸感に満ちた記憶だけれどそれは偽の記憶で、時間がたてば効力が切れる。読後感に浸り続けるためには読み続けなければならない、設定としてはそんな感じか。稀覯本を巡って争ういわば私的な地下組織の闘争で、ソ連の崩壊とロシアの混沌、マフィア組織の暗躍する社会、そういう世相がバックグラウンドにあるのはすぐに理解できる。複数の本を所持し多数のメンバーを擁する「図書館」と、一冊の本を核に少人数が集う「読書室」と呼ばれる組織同士の抗争を描いたような内容で、叔父の死によりある「読書室」の司書の地位を相続した主人公が容赦なくその渦中に投げ込まれ、飲み込まれていく様をグロテスクに描く…とでも言えばよいか。
主人公が最後に行きつく処遇にはとあるロシア文学を思い出したけれど、それはネタバレなので伏せます。主人公がウクライナ人であること(ロシア人ではないが且つてはソヴィエト連邦国民だった)ことは重いのだろうなあ。「村ソヴィエト」があっという間に崩壊してしまうところとか、うん、これはかなりへヴィだ。
しかし「権力」を描くとレーニンとスターリンの戯画であることを避けられないのは、ロシア社会の宿業と言えるのかもしれません。
あとがきで翻訳者が恐縮しているのだけれど、本書のタイトルは有川浩の「図書館戦争」とそっくりです。原題は「司書」であって、翻訳がこの邦題になるには「紆余曲折あっ」たそうですがまあ営業サイドのあれとかそれとかでしょう。全然違う内容から、ロシアと日本社会の本に対する価値の違いを考えても面白いかもだ。
この本を読んだそもそものきっかけはニコニコ生放送「【長い、重い、難しい?】文学からみるロシア 沼野充義×松下隆志×池澤春菜」を視てのことでした。あれは面白かったですよー。
むかし映画をみた。シネコン前夜の最後の時期で、立ち見したのをよく覚えている。映画の内容よりも違うことをよく覚えているので、実はストーリーの中核以外はあまり印象に残ってない。
新装版として復刊された原作を読むに、アナーキーな話だったなあと思い出した。俺もビルぶっ壊してえ(主に石鹼で)
あのときいっしょに映画を見たともだちは、楽しんでいたんだろうか?
前巻*1からの続きで、 あらすじによると前巻は「中深層編」ということになった、らしい。 思い出した!前巻の巻末に「中深層編・了」って唐突に出て来てタイトルにつけとけYO!って思ったんだ。 あいかわらず「大戦」と号するわりには小規模な戦闘しか起こらないし、相変わらずベタなつくりではある。いまひとつノリが悪いのは、現実世界でイクチオイドのパイロットとなることと、仮想世界のネットワークを媒介して主に情報収集することと、ミクロネシアの海底で未知の存在とコンタクトすることの3つのラインが輻湊していて、それぞれがそれぞれで説明的な記述が過ぎるところにあるのではないか…と、思われる。それらのラインが次巻以降でうまく統合できりゃいいんですけれど。
話の冒頭、いわゆる情報屋的なキャラが必要な情報を全部伝えて「そんな情報に触れてたらマズイんじゃないの」「ダイジョブダイジョブ」→突然の死 という流れには思わず吹いてしまったが、ラストで意外なキャラの意外な正体が発覚したらこの場面がいまひとつ腑に落ちなくてなー
あーあと、バーチャル世界でやたら主人公に攻撃性を負わせようとする合気道の謎師匠、クトゥルフさんでしょ。
ノリの悪い理由のひとつは多分、人殺しを避けようとする組織なり個人なりの正義感が、いまひとつ機能してないことにあるんではなかろうか、高性能の戦闘マシーンに乗りつつ、自身の攻撃性を否定し続けるところ、結果的にそれで仲間を失うところ、等々。
戦車です。
おっぱいです。
現場からは以上です。
…まあ、なんだろうなあツッコミどころは多いというかツッコミどころしかないんだけれど、でもこれってそういうものでしょう?大事なのは戦車と女の子、であってな。
中世的でもD&D的でも最早ドラクエ的ですらないファンタジー世界において、「戦車」って結構題材に選ばれるものでさ、その上でいろいろとイマドキな要素は乗せてるなあといったところでしょうか。昔から戦車物の潜在需要は多く、それに対して供給量が不足しているようには感じていたので、この先も広がってほしいものですハイ。
ミス・マープルのシリーズってちゃんと読んだことはないかもしれない。大昔にジュブナイルとか、断片的な紹介を見ているかもしれないけれど一番よく覚えているのはNHKのアニメだ(笑)
いまどきにこそ読まれるべき作品だ、みたいな声を見かけたので読んでみたらなるほどいまどきにこそ読まれるべき作品だったのだけれど、中核のネタバレになるので何一つ触れることができません。解説にもある通り女性に好かれる、特に育児をされている方には面白い内容かなとは思います。
やっぱりクリスティって謎解きの「論理」よりは「同情」に重点がある人だなあと、いつも思うのだけれどやはり今回も同じ気持ち。謎が解かれたときに成程なぁと同情、共感できるところが大切な一本でした。
著者72歳と比較的晩年に描かれた作品で、それまでのミス・マープルシリーズを読み続けていたらもっと色々感慨深いのでしょうね。悲しいかな自分はそれが足りなかったので…
しかし、2番目と3番目の殺人は必要だったのだろうかこの話。
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