ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

米澤穂信「冬期限定ボンボンショコラ事件」

考えてみると自分の初米澤穂信は小市民シリーズだった。手元の「春期限定いちごタルト事件」を見たら2005年3月発行の5刷だったのでその頃か。というか「春期限定―」は2004年12月初版で3か月で5刷ってすげえなおい。ともあれ足掛け20年続いたシリーズの、いちおうの完結です。まだ短編は書かれるらしいのですが、ひとまずおめでとうございます。

イカネタバレに付き隠すくコ:彡

本格とか新本格とか言う言葉が自分はあまり好きじゃないのだけれど、ことこの人に限っては「本格をやっているなあ」と、いつも思わされる。本格ミステリーをやったうえで、お話のキモは別のところにある。今回も変わらず、そういう印象を受けた。

本格ミステリーってなんだろう?その答えは推理小説界の名探偵の数ほどあるだろうけれど、ここでは「嘘を吐かずに読者を騙すこと」だとしておく。正々堂々と書きながら、読者の読解をあらぬ方向に導くこと。ミスリードの手錬と、それを明かすときの手管。騙される楽しみ。そういうものがこの作品にはたっぷり詰まっている。地の文であれ台詞であれ、「そこに何が書かれているのか」は同時に「そこに何が書かれていないか」を明示することであって、書かれたことと書かれていないことが二重螺旋の様にストーリーを紡ぎあげる。本格ミステリーってこういうものです。「本格ミステリーとは何ぞや」を知りたい向きは、この1冊読んでみるといいかも知れません。シリーズものではありますが、むしろ背景事情を知らない方が純粋に作品と向き合えるかもしれませんし。

知っていると、却ってノイズになるかも知れません。冒頭、小鳩くんと小山内さんが車に撥ねられる(小鳩くんは小山内さんを突き飛ばすので彼女は無事です)なんて衝撃的な開幕に

「そりゃあ君ら、秋期限定で瓜野くんにヒドいことしたもんなあ」

てなことを思ってしまったぞ(´・ω・`) まあそんな話にはならんのですが、ですがしかし、入院中の小鳩くんが回想するのが3年前に起きた酷似する事件、中学時代に同級生の日坂くんが轢き逃げに遭った事件と、それを推理した自分の行動を振り返るという流れは、過去の因果が今に……みたいなことを考えさせられる。実際そうなんですけど(←酷いネタバレだ!!)

でもねー、「時の娘」(SFではないほう)みたいなスタイルをとっているのに、小鳩くんと小山内さんのいまのお話であるのに、過去に立ち戻って二人の出会いを語るというのはこれ「長いお別れ」(aka. ロング・グッドバイ)をやりたいんだろうなーってしみじみね、そういうことを思いながら読んでいました。原尞の言葉を借りれば

フィリップ・マーロウとテリー・レノックスの友情の発端から結末までがもう一つの興味ある物語として描かれている。ただし、チャンドラーのために急いで述べておかなければならないが、この友情物語のために彼は普通型の探偵小説を犠牲にはしなかった。そういう意味では『長いお別れ』は厳密には二つの型を併用し、融合させているとも言える。この傑作があの長さを要するのは当然なのである。さらに、のちに多くの作家がこの種の友情物語を自分の小説に流用しているが、彼らは友情の起源を(略)あたかも自明のものであるかのように物語の発端以前において、マーロウとレノックスの出会いに相当するものをきちんと描かなかった。これでは読者を説得できない

 

『ハードボイルド』収録「作家たちについて」より

春期限定いちごタルト事件」で自明のものとして描かれた小鳩くんと小山内さんの小市民的互恵関係がなぜ、どのようにして結ばれたのか、このシリーズ最終巻が描いているのはそういうお話です。3年前の事件でふたりがなにをやったのか?そこで読者の前に提示されるのは多分、「探偵は全能でも万能でもない」という強烈なメッセージなのでしょう。本格ミステリの枠組みを堂々と使ってそういうことをやるのは確かに米澤穂信の腕前だ。3年前の事件は3年後に再演され、探偵は報いを受ける。事件そのものは、実はそれほど緻密でも厳密なものでもない、むしろ謎が解かれて現れるのは衝動的で情動的な人間の雑な行動である。真犯人なんてどうでもよかった。別に瓜野くんでもよかった(笑)

問題は、その先にあるものだから。

 

「騙された!」

 

ってね、思いましたよつくづく。真犯人が明らかになったそのあとに。成程確かに作者は嘘は吐かなかった。本文と台詞に書かれていたことは正しかった。書かれていなかったことで情報をコントロールし、読者をミスリードした。すべてはたぶん、そのことが明らかになる一瞬のためにある。優れたミステリー小説は再読に耐えるものだけれど、初読の驚きはその一度きりだけである。そんなことを思いました。

だからまあ、エピローグ的に配置される小鳩くんと小山内さんの「別れ」は、むしろ予定調和的でそこにはあまり感慨を持たなかった。なんとなく続きを予想させる謎めいた終幕でもあるしね。

 

そんなわけで小市民シリーズの続きは京都学年違い大学生探偵カップルが四畳半神話ワールドに悪魔合体するというのはどうか。森見+米澤というまったく新しい……