ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

高木徹「ドキュメント 戦争広告代理店」

軍事、と銘打ってみたが、必ずしもそうとは言えないか?

個人的に20世紀に見た映像で最も衝撃的なもののひとつが「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に放映されていた『民族虐殺を推奨するTVCM』」なのであるが、本書はその映像が流れたNHKのドキュメンタリー番組のディレクターが著した、ユーゴスラビア内戦の「外側」で行われた情報戦の内情と顛末のルポ。

「空は青い」と人は言うが、空は本当に「青い」のだろうか?実際には「人間の目には空は青く見える」であろうし「人間の視覚で認識できる光の波長の一部を『青』と呼ぶ」でもあろう。しかしながら我々は、共通の認識として「空は青い」と言い、その感覚を共有できる。元々は誰が言い出したことなのかを、考慮することもなく。

1991年から始まったユーゴスラビア連邦(当時)内の諸民族の独立運動は連邦制を維持しようとする政府の武力鎮圧から各地で紛争化し、94年にはボスニア・ヘルツェゴビナ自治共和国にも戦火が広がった。元来内部にセルビア人・クロアチア人・モスレム人の三つの民族勢力を持つボスニア・ヘルツェゴビナ共和国では独立派のクロアチア人・モスレム人と連邦派のセルビア人との間で内戦が勃発し、双方の間で非戦闘員を巻き込み大量の死傷者を生むこととなる。その渦中でいかにして「民族自立を求めるボスニア・ヘルツェゴビナ共和国」と「人権弾圧を行うユーゴスラビア連邦」という図式が生まれ、国際社会がその流れに乗ってユーゴスラビア連邦ミロシェビッチ大統領を「悪」と認定していったかが、克明に記述されている。

主要な役割を果たしたのはアメリカのPR企業である。「PR」は日本語では「広告」や「宣伝」と訳される略語だが、実際には「Public Relation」であり「公共的な関係性」とでも言うべきだろうか、もう少し深い意味を含んだ言葉であってただ告げたり伝えたりで済むものではない。コネクション、パイプ、ロビイスト活動、メディア・コントロールなどを含めた relation なのである。

非常に興味深い箇所がひとつあって、PR企業がメディアを通じてユーゴ連邦による人権弾圧を告発する際に、それがどれほどナチス・ドイツやホロコーストを連想させるものであったとしても「ナチス」や「ホロコースト」という単語そのものは絶対に使用されなかった。何故か?

「(略)ボスニア・ヘルツェゴビナで起きたことはたしかに悲劇だと思うが、ホロコーストとは比べられない。そういう比較は賢明な人間のすることではない」
 セルビア人たちをナチスになぞらえ、PRに利用することは、ユダヤ人社会にホロコーストの犠牲者を冒涜している、と受けとられる可能性があった。*1

その代替として彼らは「民族浄化」という単語を生み出し、このキャッチーな言葉は独り歩きを始め、広く pubulic に relation していった。「捕虜収容所」は「強制収容所」となり「鉄条網とやせた男」の写真は「民族浄化の一環として連行された人物の写真」として広く喧伝された*2

本書は告発本ではないし暴露本でもない。「捏造された事実」を非難する訳ではなく「加速された情報」がどれほど有効に働き、自陣営に有利な状況を作り出して行くかを解説している。ボスニアのシライジッチ外務大臣はテレビ受けする物腰と弁舌豊かな英語能力で国際社会に対して感覚的・感傷的に自国の窮地を訴えた。そしてその影ではPR企業が彼の人物の性格的な問題点を矯正し、演説原稿を作成し、結果的にクライアントの要請を見事果たして報酬を得ていたという事実を解説している。

シライジッチはこと支払いに関しては非常にけちくさい人物であった、と述懐されている。さてもビジネス社会はそれなりに戦場なのである。

思うに、演出化されていない情報など存在しない。例えどれほど公平に伝えられる事実だとしても、「取捨選択」の過程で必ずどこかに人の手が加わり、意志が関わっている。そのような情報社会の只中にあって大切なことは、自分が接している情報が真実なのか虚偽なのかと判断を続けることではなく、情報に対して自身がどういう立場であるのかを認識し、どのような行動をすべきか決定することなのだろう。

認識は二者択一ではないし、決定は断定ではない。いつでも我々は立ち止まって、自分の進むべき道について考えることが出来るのだ。

イメージに惑わされることなく。

その辺ふまえて、本日2冊目。

*1:これは日本人が持つ広島や長崎へのメンタリティと、どこか似ているような気がする。一般的に言って日本人は「ドレスデン爆撃では広島や長崎への原爆投下よりも多くの死傷者が発生し」などと聞けば感情的に反発し、論理的に反駁するものである。

*2:実際には変電施設を囲った鉄条網と、その「外側」にいる人物の写真だった