ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ブライアン・ラムレイ「地を穿つ魔」

昔々、自分がカバンの中に多面体ダイスやピンセットを忍ばせて持ち歩く程度にはゲーマーだった頃「シャーロック・ホームズのストーリー構成はクトゥルフに使える」という話があった。無論「ガスライト」という名作もあったがそれとは別に「依頼人が意味不明な事件を持ち込む」→「探偵出動」→「捜査・推理」→「問題解決」はRPGのシナリオ向きである、と。
その辺もあってオカルトホームズ&ワトソンであるところのタイタス・クロウとド・マリニーのコンビは気に入っている。朝っぱらから人ん家に押しかけて大音声で呪文を唱える楽しいホームズ君ではあるのだ。

前作短編集「タイタス・クロウの事件簿 (創元推理文庫)」に比べると本作は非常にクトゥルフ神話もの、の構造に立っている。極めてダーレス的、というかゲーム的な構造である。百面ダイスを転がして狂喜乱舞していた向きにはお勧めかも知れない。
が、やはり枠組みが規定されることは危険なのである。隠秘学というジャンルに於いて、全てが規定されてしまうことが必ずしも良いとは限るまい。旧神によって幽閉された邪神達と、対抗する人類という図式は本書が著された1974年という時代には確かに斬新なものだったと思えなくもないが。
問題は対抗する人類側が「組織」に依りすぎている事ではないかと思う。いや、キャンペーンシナリオに於いてしょっちゅう死にまくる探索者*1を補填するためにはこのような設定がしばしば用いられるものであるが、本書に於いては疑念が残る。「ウィルマース・ファンデーション」がストーリー中盤からの流れをほとんど握ってしまうからだ。ホームズとワトソンは傍観者の立場に落ちぶれてしまう。ましてや財団がクトゥーニアンを葬り去るために大規模な土木工事で…ってのは、ちょいと。

ダメ出しをやってしまったが旧支配者がそうそう人間に屈服するわけでも無し、ラストはさらに大いなる物語への架け橋となって終了する。どちらかといえば設定解説のための一巻と、取れないこともないかな?

*1:冷蔵庫に射殺されたり、狼男に生皮剥がされたり、ハイドラに殴られたりと色々である