- 作者: 山本周五郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1980/02/27
- メディア: 文庫
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「武家物」と称される作品群が都合14編再録され、内容はほぼ二分される(と感じた)
前半9編は「献身」の話である。歴史に名が残る訳でもない無名の武士・武家の妻が私を滅し公を奉じる様が描かれる
後半4編はアイデンティティの獲得とでも言えばよいか。夫婦間の愛情であったり乱行ゆえ蟄居を命じられた暴君なりが自分を発見する話。
最期の1編は太平洋戦争中の女工の話で若干他とは毛色が違う。
自分の興味は前半の諸作に集中する。「献身」も「滅私奉公」も少なからず「自己犠牲」という考え方に収斂されていくのだろうが、単純に「死」ばかりではなくむしろ「生」に帰する作品も多い。単純に自殺することが武士道ではない*1。「私を滅して公を奉じる」とはどういうことか。
「石ころ」という作品が一番のお気に入りである。戦場にいってもなんら手柄を立てることなくつまらないただの石ころを拾っては集めているぐうたらっぽい武士のもとに世間の評判など気にとめず、「このひとにはなにか人に知られないような長所があるのではないか」と一人の武家の娘が嫁いでくる。しかしやっぱりぐうたらっぽく、自分には人を見る目が無かったかと嘆くある日合戦が起こって、
実は夫というは凄まじく腕の立つ武士で、何人もの名のある武将を次々に(まるで自動的な機械のように)討ち取り、功なり名なりを挙げることに少しも重要性を求めずに手柄は全て他人に譲る、滅私奉公的人物であったということが明らかになる。
「そもそも合戦とは敵をうち負かすのが根本だ、戦いは勝たなくてはならん、勝つためには一人でも多くの敵を斃すのが戦う者の最上の心得だ、いかに兜首の手柄が多くても戦に負けては意味がない、肝心なのは勝つことだ(略)他人がなんと誹ろうとも自分のことはかれ自身がよく知っている、かれこそまことの戦士というべきなのだ」
これで済めば万歳あっぱれビバ武士道、雑魚スキーには超オススメ!で終わるのだけれど、これら献身的な武士を描いた作品がどれもみな戦時中に書かれたものだという事にはなにかうすら寒い物を感じる。時代小説は現代とは違う時代を舞台にしているけれども、そこから導き出される文芸作品としての要素は常に現代的である*2。自軍の突進を支えるために、崩れそうな橋桁に己の足を差し込んだ者、内通した上官を斬るために立哨の任を離れ、軍紀違反の咎を従容と受けて死す者、犠牲的精神が「全体」を助ける。
これは実に静かな、それでいて個人の性根に忍び込んでくるような、ある種のプロパガンダであったのだろう。