ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ポール・オースター「最後の物たちの国で」

最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

再読。刊行当時直ぐに購入した記憶があるから9年…ぶりかな?実を言うと初読時の印象はそんなに強いものではない。架空の土地で不条理な事件が次々起こるという点でボリス・ヴィアンの「北京の秋」asin:B000J88VVSみたいだなーとか、思ったような。もっとも「北京―」はコメディですけど*1

なんだろうね、今回読み直して随分面白かった。やはり読書って読み返してから気が付く事だって色々あるし、第一印象も大事だしでまあ客観的にも主観的にも誰かの「批評」って絶対じゃないよな、などと。

流れた時間と重ねた経験とが一冊の本をより良く楽しませてくれるのならば、長生きすることも無駄ではないか。

初読時はさっぱり思わなかったんだけど、この話ってどこかWebとかネットを感じさせるような気が、する。どうして日本人がBBSやブログやSNSで「日記」を公開してるのかっていう疑問にある種の示唆を与えてくれそうな・・・

 これらは最後の物たちです、と彼女は書いていた。一つまた一つとそれらは消えていき、二度と戻ってきません。私が見た物たち、いまはない物たちのことを、あなたに伝えることはできます。でももうその時間もなさそうです。何もかもがあまりに速く起こっていて、とてもついて行けないのです。

 言葉はどんどん小さくなっていきます。あんまり小さくて、もはや判読さえできないかもしれません。(略)なぜこんなに執拗に書き続けるのか、自分でもわかりません。この手紙が万が一にもあなたの元に届く可能性があるとは思っていません。これは虚空に向けた叫び声のようなもの、巨大で恐ろしい虚空に向けて上げた悲鳴のようなものなのです。けれども、ふと一瞬、自分に楽天を許せる瞬間が訪れるとき、もし本当にこれがあなたの手元に届いたら

ちなみに原著は1987年刊行なので当然作品にはネットなど無関係だ。けれど、僕はそう思った。

原題を"IN THE COUNTRY OF LAST THINGS"と言い邦題は「最後の物たちの国で」とする。"IN"と「で」では受容される感覚が微妙に異なり、やはりそれは翻訳の妙だろうなあ。

余談。

どことなく旧ユーゴスラビアなどを思わせる破綻国家が舞台の本作だが、どちらかといえばこれはある種の現代ファンタジー、寓話である。訳者あとがきでもこの作品は「近未来」小説ではないと明言されている。でもね、初版刊行時に白水社がつけてたオビにはしっかり「悪夢のような近未来世界を描く…」などと書いてあったりするのだなw

*1:異論はあると思うが