ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

H・P・ラヴクラフト「定本ラヴクラフト全集4」

久し振りに“The Case of Charles Dexter Ward”を読み返したくなって図書館の全集コーナーから借り出してくる。自分の記憶が確かであるならばこの作品の初読は東京創元社の「ラヴクラフト全集2」に収載された「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」(宇野利泰訳)によってなので、本書に収録されている小林勇次訳版を読むのは初めてのはず…


自分が一連のラヴクラフト作品やクトゥルフ神話ものを読み始めたときは、とにかく図書館で目に付いた物を適当に手に取り読み漁る、極めて雑な読み方をしていました。お金を掛けずに短期間で多くの作品を読めたのは貴重な体験で、特に最近になってこの分野に足を踏み入れた読者子諸兄には勧めたい方法です。文字通り混沌とした作品群の中から自分の興味に一致する方向性、趣味に合致した作品の傾向を発見できたら、それは誰の物でもない貴方だけの得難い真理、永劫に探求されるべき価値と行為なのです。


とはいえ今になって若干反省するところとしては、ある程度は系統立てて読む必要もあったのかも知れません。濫読と精読を同時にやるべきだったとでも言うべきか。重要な作品や文章の中には結構読み落としてるものがあったりもします。なんとなくどこかで聞き及んで人と話は合うのだけれど、実際目にしたわけではなく…とかね。


そんなことを思うのもこの分野での入門者向けってどんなものだろう?てなことを考えるのが好きだからで、例のニャル子さん効果でまたぞろそういう気持ちが精神の深淵からその醜悪な面持ちを擡げて「オスス=メ!オスス=メ!!」と詠唱の声を上げるからである。病気か。


ツイッター上で「入門者に向けた新しいラヴクラフトの翻訳があっても良いのではないか」などの声を見るにつけ、やはり現状では初心者に御大作品を直接勧めるのはなかなか難しい事なのかも知れないなーと考え込む。例えば“The Case of Charles Dexter Ward”は数少ないラヴクラフトの長編作品の中ではもっとも良く出来たリーダビリティの高い作品だけど、この国書刊行会定本ラヴクラフト全集版では「狂人狂騒曲」なる、ちょっとトンデモない邦題で翻訳されていていくらなんでもこれはないよな(苦笑)なるほど「狂気」はラヴクラフト作品・クトゥルフ神話に於ける重大な要素ですが、なにしろこの若き学究の徒を巡るミステリアスな悲劇には、そもそも狂人などひとりも出て来やしません。何故こんなヘンテコリンなタイトルにしたのか実に興味深いところですが、巻末の作品解題(本シリーズ監訳者の矢野浩三郎氏によるもの)では本作の映画化に言及して

日本での公開は六五年、邦題は「怪談呪いの霊魂」(B級ホラーの面目ここにあり!)とされたが


なんてことが書かれてます。いや「狂人狂騒曲」ってのも随分B級ホラーっぽいタイトルだと思いますぜ人のことは言えませんぜ(笑)


「怪談呪いの霊魂」、むかーし日テレ(だったよたしか)の放送した深夜映画で見ましたな。こんなカルト作品が地上波放送なんて今では到底考えられない所業で、またそれが「エドガー・アラン・ポー原作の恐怖映画特集」の一環で放映されちまったなんて笑えるエピソードがあるのは、ロジャー・コーマン監督による原題が“EDGER ALLAN POE'S The Haunted PALACE”なる詐欺臭いシロモノだったからでと、いやはやなにもかもみななつかしい…


その邦題「狂人狂騒曲」以外に本文の翻訳もどこか古めかしいです。特に作中でしばしば引用される海外からの書簡が全部文語体の御座候文で記述されてるのにはいささか閉口しました。江戸時代かよ!読み難いよ!!とさまぁ〜ず三村なみにツッコミ入れたくなるところを、でもちょっとガマンする。実際この書簡文が古めかしい文体で記されていることは本作での重大なギミックであって、仮にこの部分を平易な文章に訳出してしまうと作品の味わい、エンターテインメントの重要なバイタルパートを損なうことにも成りかねない。翻訳された小林勇次氏の労苦にちょっと思いを寄せます…が、やっぱりタイトルはいただけねーよな。今巻この他に収載されてる作品はどれも比較的原題に忠実な邦題で訳されているだけに。


小説としては「異次元の色彩」や「ダンウィッチの怪」といった重要且つ面白い作品が収録されているので、この定本全集第四巻自体はなかなかにお勧めの一冊です。しばしば指摘される事ではありますが、クトゥルフ神話について詳しく知るにはクトゥルフよりもヨグ=ソトースが出てくる話を読んだほうが理解が早く、恐怖の源は太古の内に根ざしているだけではなくて、実際のところ未来からあるいは「外側」からやってくる*1のだという思想(?)に触れるには、今巻収録諸作品は粒ぞろいだと言えましょう。過日中学校の図書室で初めて手に取ったラヴクラフト作品が金の星社版のダンウィッチであったことを喜ばしく思い出すところ。あれも確か図書館にあったはずなので、今度星辰に思いを馳せながらひとつ読み返してみましょうかしらね。


上の方で「重要な作品や文章の中には結構読み落としてるものがあったり」と書いたのは、本書収録の「猫と犬」*2を今回はじめて読んで、これまで幾度となく聞いてきたラヴクラフト御大の猫好き度合いについて小説作品ではなく直接の文章で知ることが出来たからです。これはもっと前に読んでおくべき名文でした。

 この瞬時の閃きに映えて浮かぶ一個の偶像――金銀珊瑚まばゆき円蓋の下、黄金と綿の贅を尽くしたる夢の玉座に臥す、清純にして可憐、さながら不滅の優雅を具象する姿――見苦しきも蠢き回る生類の間にあっては必ずしも正当なる評価を与えられざるも――これぞ傲岸・不服従・摩訶不思議・豪奢・悪虐非道・非人間的にして、優越と芸術の永遠の伴侶――純粋の美の典型、詩歌の友――悠揚・荘重・有能・高貴なる猫の姿ではある。

(岩井孝 訳)


ただ「猫大好きだー」ってことを書くのにもこのボリュームである(笑)でもこれこそがまさにラヴクラフトらしさなのであって、あんまり初心者入門者向けで簡略化した翻訳文を生成しても、却って本質を失いそうな危惧は覚えます。またこういった小説以外の雑文や書簡などにもラブクラフトの魅力は溢れているものでしてて、小説作品だけでなくそれらの文章を同列に楽しめる点では国書刊行会の「定本ラヴクラフト全集」も東京創元社の「ラヴクラフト全集」や青心社の「クトゥルー」シリーズに比して、あるいはそれ以上にも、広く勧められる叢書ではないかなと思ってやみません。「文学における超自然的恐怖」*3も収録されてるし。確かに文庫に比べて高価ではありますし、そもそも現在一般書店でそれほど流通してないだろとお叱り受けるかも知れません。しかし大きな公共図書館であれば書庫に配架もあるのではないでしょうか?重厚な装丁の「旧き書物」を図書館で読む行為、それ自体が既に一連にラヴクラフト作品とクトゥルフ神話*4が読者に提供する楽しみ方と魅力のひとつなのです。


ちなみにこの定本ラヴクラフト全集、なぜか第6巻だけ手元に所持しています。この一冊を入手した経緯についてはあまりに冒涜的な価値と来歴を経ているために、敢えて此所では記しませぬがふふふ。

*1:例えばダーレスやラムレイの作品にしばしば核兵器が登場するのは、執筆当時の未来、社会生活の外側にあった「恐怖」だからだろうと考える。

*2:原題は“Cats and Dogs”だが巻頭の目次と本文では「犬と猫」と順番を入れ替えたタイトルで訳されている。しかしながら巻末解題では原題の通り「猫と犬」になっていて、個人的にはそちらを推したい。要は校正ミスで、後日発行された“アーカム・アドヴァタイザー”紙にその旨訂正が載ってる

*3:第7-01巻。タイトルは「文学と超自然恐怖」

*4:本当はこのシリーズでは矢野浩三郎訳による「クスルウー」表記なんですが、まあいいじゃん。