
- 作者: メアリーカルドー,山本武彦,渡部正樹
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/01/27
- メディア: 単行本
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この本はもっと早くに読むべきだった。もしもそうしていればこの10年に見聞きし考え、思ったことのいくつかは違う形になっていたかも知れない。もっとも、そうなったところで辿り着く結論に大差など無いのだろうが。
原著は1999年刊行、2001年改訂。日本語版は2003年の刊行でおそらくイラク戦争開戦直前の時期に出たのではないかな。本文解説とも911とタリバン、アル・カイーダへの攻撃には触れているがアメリカ軍のバクダッド侵攻には記述がない。20世紀末の状況を通じて21世紀の戦争の性格・形態を見通したもので、本書刊行後現在に至るまでの世界情勢、それに対する報道に接した際にしばしば感じられたある種のもどかしさを解明されたような感を受ける。
「民族の問題だから」「宗教の」「原理主義の」と我々はしばしば問題の解決を放棄する方向で物事にレッテルを貼り付ける。しかし「民族主義者」は本当に民族的だろうか?宗教は?原理は?
結局は権力の分散と不安定な資産が戦争状態を発生させるのかも知れないと、そんなことを考えた。ユーゴスラヴィア紛争についての記述がかなりのウェイトを占めていて、リアルタイムで見ていた割りには知識の乏しかったこの問題についていくつもの情報を得ることが出来た。国家の成り立ちと軍事力の関わり方には、その国・社会がどのような性格をもちどのような政策を指向するかに密接な影響を与えるのだけれど*1、チトー・パルチザンの非正規戦闘によって独立を得たユーゴスラヴィアは民間防衛体制がすなわちゲリラ戦の備えで、連邦各地の武器庫や戦闘設備が嘗ての連邦諸国民同士に対して用いられたというのは、なんて言うかな、悲しいよな。
「平和で安定した市民社会」自体が人類世界にとっては有意義な「資源」なのであって、思うに民族や宗教や原理主義などを問題視することなく、もっと別の観点で権力と暴力を濫用するオポチュニスト達に対抗するべきであったと、そういうことかな。
今更手遅れだろうが。
昨日までは冗談で済んだことが深刻な現実となるのが戦時下の社会であって、日本の地方自治体の首長にさえしばしば見られる強権指向を考えれば、地方分権すなわち善みたいな考え方は危険だろうなあ…
この本米澤穂信の「さよなら妖精」のサブテキストとして読め!と言われて知ったのだけれど、そんな推薦の仕方をするひとって鬼だなちくしょう、有難う。