- 作者: ルパートスミス,山口昇,Rupert Smith,佐藤友紀
- 出版社/メーカー: 原書房
- 発売日: 2014/03/25
- メディア: 単行本
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1991年の湾岸戦争でイギリス陸軍機甲師団長との著者経歴を見て興味を抱く。むしろそのあとのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で国連軍司令官として作戦参加のほうが重要だったようだけれど。
うーん、まあ読み通すのにちょっと時間が掛かった。この本で著者が言いたいことはひと言で集約されている。すなわち、
もはや戦争は存在しない。
ある種ショッキングな極論に見えることも確かで、ここだけ抜き出すと矢のような批判を受けそうだけれどそのあとこう続いていて
他方、対立、紛争、戦闘が世界中に存在し続けることは確かであり、国家は相変わらず力の象徴として用いる軍隊を保有している。それにもかかわらず大多数の一般市民が経験的に知っている戦争、戦場で当事国双方の兵士と兵器のあいだで行われる戦いとしての戦争、国際紛争を解決する手段としての大がかりな戦争、すなわち《国家間戦争》、こうした戦争はもはや存在しない。現在、我々が関わっているのは絶えず様々に変化している《人間戦争》である。直面している対立や紛争に勝利したいのであれば、このたしかな現実に我々のやり方を順応させ、また我々の組織を現実に合わせて編成しなおさなければならない。
(強調部分は本来傍点表記)
この「人間戦争」という語句、ニンゲンではなくジンカン戦争(War among people、人々の間での戦争)それこそが本書の主張の鍵であり、現在起きている世界状況はそういうものですと、それを説く内容か。その単語をどうにも受け取り難いことと、軍事力の効用が歴史上ではどう変化していったかをナポレオン時代から現代まで通しで記述されるのがいささか眠気を誘ったことも確かで、正直内容の全てを理解できたかといわれると甚だ疑わしい。軍事力とそれらを取り巻く状況が変化しているという言説は他の書籍などにいくつもあることだけれどもね。
おそらく著者の考えは正鵠を射ているのだろう、とは思う。ただヨーロッパのおかれている状況と極東アジアのそれが果たして同一の観点で説明・対応し得るのか、原著が刊行された2005年の状況とNATOが再びロシアを仮想敵国と想定した10年後の現在では何か変貌しているのではないか…と、そんなことを気にしながら読んでるからなかなか進まないんだろうなあ。
「もはや戦争は存在しない」といわれたら「じゃあ軍隊いらないっすよね^^v」なのかと言われればそうではなくて、軍隊と政治と社会全体は密接に関連してそれぞれの地位や立場で効果的に行動しろと、そういうことなのだれど、言うのは簡単…でもないけどな。
しかし「マラヤ動乱」って日本では冷戦時代の歴史でもあまり言及されませんね。冷戦といえば朝鮮とベトナムだという、そんなステロタイプな理解をこそ忌避すべきなのかも知れません。「降伏と戦後の社会」というものをすなわち第二次世界大戦と戦後の日本<だけ>をロールモデルとして捉えてしまうような危険とかだな。