- 作者: 吉田満,保阪正康
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/07/06
- メディア: 文庫
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#副題にもある通りこれは決して「小説」ではないのだが冒頭に収録されている「戦艦大和ノ最期」を主に扱う。
小説作品にとって最も大切なものは文体だ、とよく言われる。しばしばハードボイルド小説に於いて言及される事柄であったりまた一人称・三人称などの視点問題であったりもする。しかし文体が作品を決定づけることの証左として特に挙げられるのはこの「戦艦大和ノ最期」ではないだろうか。著者はこれを「小説」として記述した訳ではないのだけれどひとつの文芸作品として、この漢字カタカナの文語体で書かれた作品の持つような緊張感や空気感を感じさせるものを、自分は他に知らない。前々から読もうとは考えていたのだけれどもやはりこの文章には漠然とした取っつきにくさを感じ、また個人的に「戦艦大和」というモノを忌避するところもあったので手を出さずにいた。一読してまず驚いたのはその読みやすさである。てっきり「戦闘詳報」のような読み難さをイメージしていたのだがごく自然に、流れ込むように文章が頭に入ってくる。ひとつひとつのセンテンスが短く切られているからだろうか、会話と改行だけの小説よりもよほど読み易く、また抑えた語調で描かれる心情や情景からは、行間というものを漢字させられる。不思議なことだ。
著者はこのような文体を意図して選んだ訳ではない。ただこれより他に書くべき文体を持たず、これより他に書くべき主題も無かった。それしかなかったという、ただそれだけのことが他を持って代え難い作品を生み出すというのはやはり不思議な偶然というべきなのか。発表当時から現代に至るまで賛否両論や事実誤認などの問題提起を度々起こしている作品ではあるがしかし、これはよいものだ。
後半は主にエッセイが採録されていて「大和」を巡る論議や個人としての戦争責任、キリスト教的な平和思想などについて述べられている。感銘を受けることは実に多いが此所では省く。
「戦艦大和ノ最期」初版あとがきより、一カ所引用。
このような昂りをも戦争肯定と非難する人は、それでは我々はどのように振舞うべきであったのかを、教えていただきたい。我々は一人残らず、召集を忌避して、死刑に処せられるべきだったのか。或いは、極めて怠惰な、無為な兵士となり、自分の責任を放擲すべきであったのか。――戦争を否定するということは、現実に、どのような行為を意味するのかを教えていただきたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ当然すぎて無意味である。誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう。
さもありなん。著者はそのような世界を見、それを叙述した。当事者とはそういうものだ。