- 作者: 戸高一成
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2012/12/20
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
順当に刊行が続いて四冊目。一回ごとのボリュームが増えてきて今巻は第三十一回から第三十七回までの7回分の内容に押さえられています。果たして全て刊行されたときにはどれほどの分量になるのか、はたまた無事に全てが刊行されるのか。
どうこがどうと言う訳ではないけれど「海軍善玉論」なんてものが醸成されるわけだよなァ…とか、そんなことを考えた。今巻のパートでは当時の新聞記者を「ゲスト」に招くことはあれ、やはり反省も分析もあくまで内部から観点であって、殊更に外部からの批判を受け入れる訳でもない。無論内輪だからこそ話せることもあるだろうけれど、内輪の人間が集まって挙げらていく問題点は大抵「あれ」もしくは「だれ」のつまり that であって this ではなない、ましてや myself でもなんでもない…というのがここまで読んできた感想です。
初めてNHKの番組で見たときに相当驚かされた、「海軍としては対米開戦に反対だが陸軍の意向に反対すると内乱の勃発する恐れがあるので仕方なく賛成した」みたいな話はここで出てくる*1。出席者による直接の意見ではなく、終戦直後に永野修身元軍令部総長に問いただしたらそんなような返事が帰ってきたと紹介されているのだけれど、この無責任さはなんだろうね。反対して且つ内乱を生じせしめないって考えは無かったんだろうか。真珠湾作戦に反対を表明したら山本五十六連合艦隊司令長官が作戦案が通らなければ職を辞すと息巻いて通ったとか、出てくるのは到底近代国家とは言えないようなウエットな事象ばかりで何かこう、当事者が問題と捉えるよりもずっと以前のレベルで負けてたんだなー、とか。
でもねえ、たぶんその前近代的なところって現代日本の、かなりトップレベルのところにまだまだ残ってるんだろうなとは思うんだよな
戦争末期、豊田副武時代の連合艦隊司令部が後方(日吉の慶応大キャンパス)に置かれたことがしばしば批判されるのだけれど、山本古賀の前任者2名が2名とも前線で死んでることを考慮するに、連合艦隊司令長官が一作戦を直接指導しないことが「士気に関わる」なんて意見が出てくるあたり、旧日本軍の戦争システムってハードやソフトどころかOSのレベルで全然立ち後れていたんだろうな…
反省会の活動をどう記録するか、出版刊行を見据えた話し合いの中で「細菌戦の研究はやっていたが特に実行されなかったので記録するのはやめよう」「私は耳が遠いので皆さんが何を言ってるのかわからない」みたいな会話*2が成されているのは辟易しますね…
「大艦巨砲主義批判」に対する反対意見がちょっと出ていて、そこはもう少し突っこんだ発言を見たいところです。希に引用される戦艦大和をピラミッドや万里の長城と並べて無駄の極みとしたのは日本海軍の航空畑の人間が言ってたことで、そもそもナンセンスな比較なんだよなこれ。そう言えばこの会って航空の人が居ないみたいですねどうもね。その辺の主観も考慮しなけりゃいけないんだないろいろとな。
むろんこの感想文自体は平和な世の中で自堕落な読書子がコーヒー片手に欠伸しながら読んで得た知見であり、そんなことが出来る現代の日本社会を作り上げることが出来たのはみなこれ先人方々の御尽力による物と、そのことは承知しておりますが。
「飯を食うために物を書いている人の文章はあてになりませんなあ。ということはよく聞きます」*3なんて発言があってちょっと笑ったんだけど、考えてみると日本人、日本社会って歴史の総括を「作家」に任せすぎな気がします。「国民的作家」と呼ばれる人は居ても「国民的歴史家」は居ないよねえ