これまでいろんなタイプのミステリーを書いてきた人ですが、ここまでがっちりした「警察小説」ははじめてじゃないでしょうか?群馬県警の葛(クズじゃありません、カツラです)警部を主人公にした連作短編集。5本の短編を個別に見ていきます。
①「崖の下」
これはスキー場を舞台にした作品で、主な謎は「凶器はなにか」というハウダニットです。これについてはある漫画を(ミステリーではありません)読んでいたので、解答が提示される前に解りました。こういうのは楽しい読書体験ですね。ただ、殺人の様相が明らかされただけで「なぜ」「どうして」には触れない。「動機の解明は重視しない」というのも米澤作品ではよくあることでありますが。
②「ねむけ」
こちらは強盗傷害で捜査中の有力な容疑者が交通事故を起こす話で、かいつまんで言うとその際に信号無視をしていたかどうかを明かす話です。複数の目撃証言はすべて一致していて、むしろそのことの理不尽さがストーリーを動かします。謎解き以前に、刑事たちだけでなく目撃者含めて事件関係者全員が激務で睡眠不足だという状況(故にこのタイトルでもある)が、警察小説の名作と名高いR.D.ウィングフィールドのフロストシリーズを想起させました。まあ伝統……ですかね、ジャンルの。
本作は刑事課と交通課の捜査が交錯する展開なので、警察内部の申し渡しや縄張り意識のようなものにも目が配られています。「警察小説」に要求されるのはエキセントリックな私立探偵ものとは違うリアリズムなのだなあと、改めて思うところで。
③「命の恩」
読み終えて変な声が出ました。本書収録短篇はどれも無駄がない硬質な文体、硬質な内容なんだけれど、誰もが善意で動いていたのに誰一人救われない作品を突きつけられると読者の方にも逃げ場がない……ような。山中で発見されたバラバラ死体を巡る事件、容疑者はすぐに浮上し事件の全貌も把握し易いものと見えて実は、というもの。ひとつの違和感が事件全体を大きく揺るがせ真実が明かされた先には……全然救いがないものです。黒米澤を煮詰めたような一本で、最近小市民シリーズからこの作家を知った人に無理やりにでも薦めたい作品(笑)
④「可燃物」
表題作でもある一本、連続放火が題材なのでちょっと背筋が伸びます。かの「秋期限定栗きんとん事件」では探偵が推理していると思わせて実は……という話だったけれど、こちらはまあ、普通の流れではあります。容疑者は固まり物証も出るけれど、証拠自体は弱く(これ結構珍しいと思うんだけど)「動機の解明」に重点が置かれる内容。しかし動機が解明され容疑者が逮捕されても、後味は苦いまま終わります。警察と消防が連携する事件なので、役所間でのすり合わせやコミュニケーションの描写が面白いですね。
⑤「本物か」
拳銃を手にしたファミレス立てこもりの犯行が現在進行で記述される一本。警察無線の口調、現場指揮や役割分担(書き忘れていたけど葛警部は県警本部から事件の起きる所轄警察署に派遣し捜査本部を立ち上げる役割です。但し本作ではだいぶ偶発的に現場に乗り込む展開)の様子は、実際を知らない読者にも実感を持って受け止められるだろうなあと。自分はあんまりこういう言い方はしないんだけどリアルだな、と思います。「本当のこと」を知らなくてもリアルだな、と思わせるものは何だろう?現場で得られる様々な証言から事件の全貌が描かれていく訳だけれど、ある瞬間実にダイナミックな変転が起き。それまで自分がというか読者が描いていた「画」と、視点人物である葛警部が内心で描いていた「画」は、まるで違うものだと明かされる。そこでちょっとページをめくる手を巻き戻すと、バラバラだった各人の証言の中に、繋がりや違和感がちりばめられていたのだなと唸らせられる。そしてこの話、中盤ではまったく救いが無いように見えるのだけれど、無事事件は解決し、心地良い読後感を得られました、大事大事。
以上五本の短編からなる連作。読了して思うに、警察小説というのはこれは大変なジャンルだなあと。ストイックで地に足の着いた内容、決して過剰な非現実を持ち込まず、それでいてミステリー小説としての謎と解明は本格ミステリーと同様の論理性が要求される。警察組織の内部事情や符丁、語法にも通じてないと実感のある警察小説は書けない。
以前警察小説大賞だったか、そういう公募の講評がだいぶ辛口だったのが不思議だったんだけれど、なんか納得しました。
時期で言うと①が2月、②が9月の事件なんですね。そのまま一年を通じる流れかと思いきや③は7月で④は12月、⑤で3月の事件が幕を下ろす。初出の順番は①→②→④→③→⑤で、あーうん、あんまり関係ないなこれはw
ストイックだなと思うのはキャラ描写全般にあって、事件外のことは全然書かれません。葛警部の家族関係すら書かれない。警察関係者の描写もだいぶ抑え気味なんだけど、抑えた中でちゃんと個性が際立つところはあるように思う。上手いよなーやっぱり。
