ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

舞台劇を見てきました。

「二人の王女」という劇で主演は姫川亜弓北島マヤの二人で…

いや、まあ重大なのは演じるにあたっての「分身」という概念だ。それは「血を分ける」ことではない(この場合の「血」はbloodではなくてfamilyとかklanに近い概念だ)し、分解すなわち「解を分ける」ことではない(解え、というのは思考の産物だ)

身を分けるとは、どういうことだろう?

「共感」という言葉からいつも浮かぶ図式はオリンピックの「五輪」だったりする。重なり合うところは確かにある、しかし重ならないところもある。一方では重なるところが他方では重ならず、他方で重なるところが一方では重ならない。もし、完全に重なるものならばそれは「共感」ではなくて別の概念で――それは決して気持ちよいものではない――「融合」とか?


その辺ふまえて「分身」だ。それは自分から出でるものである。そしてそれは自身ではない。それは、なんだろう?