- 作者: H.P.ラヴクラフト,荒俣宏
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 1976/11
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
書物は偉大である。まさか旧き昭和の時代に荒俣宏の手によって訳出された(おそらく)本邦初のクトゥルフ神話アンソロジーが、現行流通しているとは思わなかった。ジュンク堂書店新宿店に幸あらんことを、いあ!いあ!*1・・・愛読者カードの差出有効期限がとっくの昔に切れていたのはダゴン秘密教団の陰謀。
そういえば新宿ジュンク堂には同じく国刊の「定本ラブクラフト全集」がまだ並んでいたのである、シュブ=ニグラス!千の仔を孕みし森の黒山羊!!・・・6〜10巻のみという「つまんない部分」だけだったのはニャルラトテップの仕業だ。
今でこそクトゥルフ神話はいろいろなところで読めるが、昔はそれほどえもなかった。創元の全集はまだ4巻までしか出ていなくて、これの他には国刊の「定本−」と「真ク・リトル・リトル神話大系」青心社の「クトゥルー」ぐらいしかない頃もあったのである。あ、あと矢野健太郎のマンガ(笑)
ともかく!
本書は「クトゥルフ神話」がどういうものか、初見の読者が理解を得るには最適の一冊であろう。
確かに以前読んだはずなのだが内容をさっぱり覚えていなかった。これはつまらなくてわすれていた明らかに輝くトラペゾヘドロンの識域下に於ける影響であろう。過去に読んだ本は未来には読んでいない本である。人類は非ユークリッド幾何学的な時空連続体を極めて近視眼的にしか観測し得ない矮小な生命体でありこの宇宙的恐怖、真実、おぞましい心理いあ!すとらま!!
・・・失礼した。どうもPCの日本語入力システムが上手く作動していないようだ。
「クトゥルフ神話」とは如何なる存在なのか、知らざる者にそれを説明することは非常に困難である。それは決して神話ではないし神々を謳いあげるものですらない。強いて言えば「窓辺から外を見ている感覚」に近いだろうか。エーリッヒ・ツァンは如何なる場所で天啓を得たか?「ダゴン」の筆記者は迫り来る恐怖を何処に見たか?ふんぐぬい・いぐるなう・る=りえー・くとぅるふ・ふたぐん!!
現代社会の中でもとりわけ「全世界規模の蜘蛛の巣窟」と呼ばれる階層にエンカウントしている者どもの多くが「ビルゲイツの窓」と呼ばれる装置によって介在されているのは疑い様も無く旧支配者の触手がこの21世紀に至るまで密やかに伸ばされていることの証であるいあ!いあ!はすたあ!!
しかしながら本書には「エーリッヒ・ツァンの音楽」も「ダゴン」も収録されてはいない。HPL本人の手によるオリジナル作品は一本も収録などされていないのである。かくも名状し難き所業!あるのは「あの」ダーレス、HPLにはただの一度たりとも目通りの叶わなかった悪名高きオーガスト・ダーレスとの「共作」と証する補遺作品が二編。他はほとんどラブクラフト・サークルに属する作家達の作品である*2。ちなみにダーレス本人のオリジナル作品も収録されてはいない。馬鹿め、ダーレスにオリジナル作品などないわ。
そしてほぼ例外なくつまらない。これらアーカム・ハウス作品群よりは日本人作家による一連の作品の方がエンターテインメントとしてはよほど完成されている。代表的な日本製神話としては菊池秀行の妖神グルメ (ソノラマ文庫ネクスト)が挙げられよう。
しかし、このつまらなさこそ原石である。無人の家で発見されたガラス玉のように鈍く、汚らわしく、それは輝き人の心を惹きつけ捕らえて放さぬよぐ=そとーす!!
かの狂えるウィーンびとが予見したように確かに神は死んだ。死んだのだ。ソンムの荒野で、ヴェルダンの塹壕で。宜しい、死すような神ならばそのまま死なせて置けばよい。そして我々は造りあげるのだ、新しき神を!伐たれざる神を!不死なる神を!
その神の姿がどれほど人の目にはおぞましく見えようとも、私はそれを、その力と存在を信ずる
l^丶
| '゙''"'''゙ y-―, ぬがー=くすん=ゆふー!
ミ ´ ∀ ` ,:'
(丶 (丶 ミ いあ いあ
(( ミ ;': ハ,_,ハ ハ,_,ハ
;: ミ ';´∀`'; ';´∀`';, ,
`:; ,:' c c.ミ' c c.ミ
U"゙'''~"^'丶) u''゙"J u''゙"J
/^l
,―-y'"'~"゙´ | ぐるふ=や、つぁとぅぐぁ! ゆくんふ、つぁとぅぐぁ!
ヽ ´ ∀ ` ゙':
ミ .,/) 、/) いあ いあ
゙, "' ´''ミ ハ,_,ハ ハ,_,ハ
(( ミ ;:' ,:' ´∀`'; ,:' ´∀`';
'; 彡 :: っ ,っ :: っ ,っ
(/~"゙''´~"U ι''"゙''u ι''"゙''u *3