日本国憲法第九条とアメリカ合衆国憲法修正第二条はどこか似ている、と思う。どちらも建国理念に基づく「憲法」の条文であり、尚かつしばしば賛否が論議されるものである(その他の条文が全く論議されない点に於いてもこの二つはよく似ている)
どちらも現実とは乖離しているという点でもよく似ている。
日本国憲法第九条は軍隊の放棄を謳っている。
日本国には自衛隊がある。
合衆国憲法修正第二条は、これは正式な訳文を示した方が良いと思うのでアメリカ大使館サイトからコピペしてみるが、
「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない」
例えば、銃を所持することがひとつの文化であるという異国の考え方を尊重するにしても、同様に建国理念から国民が須く武装しているスイス共和国の銃器犯罪発生件数*1を鑑みるに…
アメリカ合衆国の「銃器社会」としての文化(民度?)は未成熟だと言えるのではないだろうか。
「人を殺すのは銃弾だ」という考え方がある一方で「人を殺すのは意志だ」という考え方があって、多分どちらも正しいのだろうが、問題は意志と銃弾の間にある物で、手を伸ばせば届くところに銃があるという現実であり、伸ばされる腕でもある。武器のことを英語で“arms”と呼ぶのはなるほどその通りだな。日本語だと「腕に物を言わせて――」とか言いますね。
全然関係ない話だけど「腕」って人型機械には必要不可欠なものですよね!
*1:そもそも総人口が違うという点を差し引いても、遙かに少ない…ハズである(ハズかよ!)