大変面白うございました。前作ビギンズの流れをそのままに、ジョーカーとバットマンは同類なのではないか?との疑問を投げかけつつ、この部分はティム・バートン監督版が先行作品として在りますが、そこから進んで「単なるヒーローではない」バットマンを「病人」にしなかったのはクリストファー・ノーラン監督とそのチームの手腕か。ポスト911ってだけじゃない、今現在のアメリカとアメリカ人にしか作れないような良作でした。それを作れることが幸福なことであるかどうかはわかりませんが…*1
ところで。
映画そのものは損しないと思うけど、そっちにはあまり過剰な期待しないほうが。
おいおい、
ハービー・デント大活躍じゃないですか!
過剰に期待してかなかったので、トンデモなく裏切られましたよモチロン良い意味でですよ!!
壁紙と大して変わらない扱いだったバートン版のハーヴェイ・デント*2やスケールの小さい偽ジョーカーみたいだった「バットマン・フォーエバー」のトゥーフェイス*3とは雲泥の差、大塚明夫がCVやってたアニメ版に匹敵する素晴らしさでまさに…
“HARVeY ? BRiLLiANT !”*4
ってな感じですな。以下、私は何故トゥーフェイスを愛するかの自分語り。映画と関係なし。
思うに、トゥーフェイスの二つの顔*5はマスクでもなければメイクでもありません。それは素顔である。なんら偽るところは、無い。差し詰めバットマンとジョーカーとの関係*6線上では中間に位置するような、分水嶺のような、良くも無く悪くも無く且つ良くて悪いところに彼は居る。それは、何処か。
それは普通の人の立ち位置で、民主主義の優等生である(みんな好きだろ?民主主義)ところの市民の二つの顔であるとまあ、自分は強くそう思う。それは誰でもたやすく手が届くプレステージである、などと。つまり等身大のスーパーヴィランなのですよビック・バッド・ハーヴ*7は。
あーつまり、こういうことである。望めば誰でも成れる存在である。何が?無論トゥーフェイスが、さ。
例えば、我々でも万が一、余程の幸運(主に金運と血筋)に恵まれればブルース・ウェインのように生きられるかもしれない。しかし「バットマン」のようになるのは酷く難しいでしょう。
同様に貧乏と才能不足に加えて突然事故死する配偶者に恵まれ(?)れば、出来心で犯罪に加担する売れないコメディアン*8になることも可能でしょう。しかし「ジョーカー」のようになるのは凡そ不可能でしょう。
ところが、
ハービー・デントのように生きるのはちっとも難しいことではありません。何に恵まれなくとも「高潔」であるためにはただ意志と信念があれば良い。それはあなたもわたしも持っているものなのです。例えどれほど小さくとも、何処かには必ず。
そして、
「トゥーフェイス」になるのはもっと簡単で頭からガソリンを被って火をt(自主的な検閲により削除)