ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ウィリアム・ギブスン「あいどる」

あいどる (角川文庫)

あいどる (角川文庫)

(実際に読んだのはハードカバー版)

再読。

「おれバーチャル・アイドルと結婚する!!!!111111!!!」なんて想いはいまでこそ世田谷区を歩いている人間のうち10人に7〜8人ほどは抱いたことがある*1だろうが、初版発行1997年に於いては物珍しかった内容。有名バンドのボーカリストが東京でそんな決意をブチ上げたとかで事の真偽を確かめるべくファンクラブのシアトル支部からやってくる14歳代表ガールと、なんだかよくワカランがサイバースペースに「結節点」を見つけ出せる特殊能力を持った未来予見者的人物の二人の目を通して描かれる21世紀の東京と人類の進歩がどうたら。

と、いうのは今更どうでもよくて(暴言)ここに書いてある面白い事は1988年に来日したギブスンの個人的経験を通じて描かれる80年代末〜90年代初頭にかけての戯画化された日本文化だと思う。日本というか、まあ東京というか、新宿とか六本木とかだ。道端のピンクビラとか「鮭よ戻れ」という名のウォッカとか今ではもう無くなったもの*2に郷愁を感じたり、「ポカリ汗」って名前のドリンクは不変だなーとか思ったりだ。たぶん今でも初来日した欧米人のなかには日本人が着てる衣服に書かれた英文見てビックリする人がいるんだろうなー。

いま現在に在って、当時は存在しなかったものを考えるのも面白いことです。「おたく」なキャラは出てくるし秋葉原も訪れるけれどその二つはさほど密接に結びついていないし、なによりこの小説には二次元キャラクターに対する「萌え」要素がカケラも予想されていないのだな。80年代からその萌芽は確実にあったはずなのに、一見の旅行客に過ぎなかったギブスンにはそれが発見できなかったのだろうか?現実の21世紀の東京では「リアルな」という言葉は現実感に基づくのではなく、記号的存在が記号のカタチのままで顕現することを志向しているのだ…


てなことを考えたんだけどさ、本書に登場するバーチャルあいどるの名前が「投影麗(トーエイ・レイ)」だってのはこれセーラーマーズのことじゃないでしょうか?いやほら、東映の、レイちゃんときたら、ねえ?


解説には90年代当時の日本の状況も書かれてて面白いんだけど、「芳賀ゆい」はともかく「ホリプロ製作の伊達杏子」なんてすっかり忘却の彼方である…

「未来?」
「あなたは“ネイチャー”を意味する日本語がごく最近の造語であることをご存じですか?その歴史はたかだか百年ぐらいなんです。ミスター・レイニー、われわれはテクノロジーを敵視する観点を発展させずにきました。テクノロジーは自然の一側面、合一の一側面です。我々の努力をつうじて、合一はそれ自身を完成させるでしょう」桑山は微笑した。「そして大衆文化がわれわれの未来のたたき台なんです」

たぶん、本書の記述でもっとも核心的なのはここだと思う。ずいぶんと希望的観測に基づく社会観だとは思うが。

*1:あーウソ、たぶんそんなにはいません。精々5〜6人だと思う。普通だ。

*2:実際には焼酎だしカムバック・サーモンは製品名ではなくキャッチコピーだった。宝焼酎「純」自体は21世紀も健在である