- 作者: パオロ・バチガルピ,鈴木康士,中原尚哉,金子浩
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/02/09
- メディア: 新書
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「ねじまき少女」*1の作者による短篇集。「ねじまき少女」と同一の世界観、共通のキャラクターが登場する先行作品も収録されているけれど、むしろ直接関連のない作品に共通性を感じる。なんでだろうね?それはともかくパオロ・バチガルピの作風や彼が「環境SF作家」と呼ばれている理由はよく解りました。大抵はグロテスクな方向に変化した未来の地球環境を舞台として、そこで蠢く人間模様を描き出す、そんな作品集です。短編である分明確に個人にスポットが当てられていて、「ねじまき少女」の特に上巻に寄せられていた「誰が主人公なんだかよくワカラン」類の不満は解消されます。
環境問題ってフィクションのテーマとしては昔からあるものなんだけど、バチガルピ作品のどこが特徴的なんだろう?最近のもの(特に日本の環境SF)はあんまり読んでないからこれがこうだと明確には言えないけれど、どれだけ現在只今のこの世界とは隔絶した設定でも、どこか我々の現状とつながる連続性を感じるのは独特かなと思う。「フルーテッド・ガールズ」のベラリが自分の領地ではどれだけ絶大な権力を持つ封建領主であっても、ひとたび株価が暴落すると芸能プロダクションとマスメディアの奴隷*2に成り下がる危険性と隣り合わせであることや、「タマリスク・ハンター」のロロが最終的には州兵に500ドルの手切れ金で住居を立ち退かされるところ…とかだな。特に後者はごく普通の作家で有ればもっと暴力的な「強権」を描きそうなものだけれど、淡々と済ませるところに却って凄みや怖さ、アメリカの病(わら)を感じるような。人間の不老もしくは不老不死を扱った作品もいくつかあり、どれも大抵ろくでもない世界設定のオンパレード。そして「格差社会SF」でもある…って言ったら変ですか?椅子取りゲームみたいな話が多いと思う。
「気がついたら身の周りバカばっかりだよ!!」とゆーミもフタもないかたちで人類が滅亡していく様を描いた表題作「第六ポンプ」のリアリズムはすげぇなあと思う一方、短い中でエロスと暴力とそこからの解放を描いた「フルーテッド・ガールズ」が個人的にはイチオシ。「ねじまき少女」の好きなところだけを抽出したような、綺麗な短篇です。しかしなぜ原題は“The Fluted Girl”なのに邦題は複数形なんだろう?確かにフルート化された少女は二人出てくるけれど、明らかにこの作品はリディアひとりの物語だ。そこだけちょっと気になりました。
「ついカッとなってやった。今ではちょっと反省している」が主なテーマの(えー)「やわらかく」はこの一本だけずいぶん毛色が違うなーと思ったら、これっていわゆる「お題バトル」的な企画で書かれたものなんですね。
*1:http://d.hatena.ne.jp/abogard/20111105
*2:封建領主で同時に芸能プロの重役でもあるヴァーノン・ヴィアーってどんだけ悪辣なんだ