ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

空木春宵「感応グラン=ギニョル」

エロいものに触れたときにただエロいエロいと言っているとコイツの脳味噌はエロスだらけかと思われそうなので、エロいものに触れたときは「火力!」と叫ぶことにしました。上坂すみれさんファンの同志が「毛深い」って言うようなものです(´・ω・`)

 

その上で、先日SFカーニバルでの大サイン会にて購入した本書をじっくりねぶるように読んで、漸く読了いたしました。

 

火力!!!!!

 

以前に「地獄を縫い取る」は『2020年のSF』で読んでいてその時もずいぶんインパクトを受けたんだけど、

abogard.hatenadiary.jp

アンソロジーではなく、短編集のなかの1本として読めばインパクトの形は違ってくる。これらの作品はすべて「私が私になる話」、アイデンティティを獲得する人の話だった。だから「地獄を縫い取る」も「AIやVRが現実の人間社会や人間の認識を侵食していくような話」ではなくて「私がAIやVRの領域に侵襲して行く話」なのでしょう、たぶん。

そこで語られる要素は加虐と被虐、「痛み」や「呪い」と言ったワードが多用されるけど、どちらも決して「趣味」ではなくてなんでしょうねうーむ「イズム」ではあるのだろうけれど。自我を獲得する手段として様々な傷や病や人体改造が刻まれていく。モラルとかインモラルとかではない妖艶なグロテスク、そういうものかな。

火力ですねえ、火力ですよ。

そして、物語の途中でそれまでの前提を覆されるというか物の見方を一変させる仕掛けが施されてる作品が多くて気持ちよく驚かされる。閉鎖環境で女学生をゾンビに変えていく過程が詳述される「徒花物語」で、開発しているのは実はゾンビではなく「哲学的ゾンビ」なのだと明かされたときは、我ながらかなり歪んだ顔で笑っていたと思う。そういう良さがある。この本にはある。人が不本意な病の結果として変貌していく世界で、自らを人為的に変えて行こうとする「メタモルフォシスの龍」、戯画的な大正世界でフリークスの少女たちが奇態な芝居を繰り広げる「感応グラン=ギニョル」、その続編とも言える世界で美醜の在り方を問う「Rampo Sicks」。すべての物語に共通しているのは、「我は、我である」とでも言うような極めて強いアイデンティティの主張だ。痛みも、呪いも、美しさも、そしてなにより醜さも、

わたしだけのもの。

そしてこれSFカーニバルの大サイン会で入手したので、著者自らの解題となる「収録作にまつわる思ひ出」が特典でついてきてラッキー(^^v みんなも行こう、SFカーニバル。

それでね、自分のひとつ前に並んでた可愛い女の子が、空木先生に本書の感想をそれはそれは楽しそうに伝えていたのね。その時はまだ本書を読んでいなかったからなんか楽しそうだなーぐらいに見てたんだけど、

 

いまになって冷静に考えたらあれ、火力じゃね(/ω\) ?