公式。 前に劇場で予告編を見たら「これホントに沖縄戦の映画なのか?」と思ったぐらいに不自然なほど日本軍のにの字も出てこないものだったり、キャッチコピーがおかしいとか事前に(試写だかアメリカの上映だか)見た評論家の感想が内容を誤解してるのではないか、とか、どうも宣伝が変だなとある程度身構えて見に行ったら、まあこれは確かに宣伝が変になるのも仕方が無いかな。むしろよく公開してくれたもんだなーと、感心しました。
「良心的兵役拒否」というのがまずわかり辛いところはあるかも知れない。なにしろ現在の日本には兵役制度が存在しないし、日本に兵役制度があった頃には社会に「良心的兵役拒否」の概念があったかどうかかなり疑わしいからだ。(それでも、山本七平の文章などには宗教的理念から衛生兵を志願した個人が存在したことは記録されている)
世界史的には、これは二度目の出来事で、最初の良心的兵役拒否者は第一次世界大戦のときに生まれました。それについては小関隆「徴兵制と良心的兵役拒否」が詳しいです。欧米においては二度目の出来事だったので、システムの方でちゃんと受け皿は用意してありました。とはいえそういう制度・形式があることと、それが現実に機能するかはまた別の話で、そこで個人が葛藤することが、たぶんこの映画のテーマなのでしょう。
個人、極めて個人的なストーリーなのよねこれ。献身的な個人、殺人行為には反対し、しかし戦争には志願する個人。信仰理念と直面する現実とまあいろいろ。
日本で「良心的兵役拒否をするアメリカ兵」像といえばベトナム戦争の頃の前線から逃亡する兵士とベ平連などによる幇助というのがありましたが、そういうものともまた違う。言ってみればキリスト教原理主義者の英雄を描いた作品なので、なかなか複雑な気持ちになる訳です。「フューリー」もキリスト教戦争映画だったよなあ…
クライマックスとなるハクソー・リッジでのドスの救助活動より、第一次世界大戦でPTSDになりアル中でDVなオッサンの父親が古い軍服に勲章も全部下げて軍法会議に乗り込んでくるシーンの方がなんだか涙腺に来たのは、たぶんトシのせいだと思いますが。あれシルバースターだよな。
映画の冒頭、「これは真実の物語である」とテロップが出る。真実を元に何を物語るのか、というのはつまり何を物語らないのかを決めることでもあり、この映画がバッサリ切って語らない部分が、これまで日本の社会が培ってきた「戦争観」みたいなものだろうからなーうーん。
やっぱり沖縄戦を描いた作品で日本の民間人が一人も出てこないのはどうも落ち着きません。別にこの映画が嘘だと言ってるわけでは無いけれど、それにしてもね。
だから、浦添市が映画に合わせて郷土の歴史を報知しているのは非常に良い取り組みだなと思います。映画をきっかけに実態を知ることが出来るのは、とてもありがたいことです。
真実を元にしたとはいえかなり脚色が成され、描かれなかったことも多々あるでしょう。思うに、この映画で一番素晴らしいのはハクソーリッジの前面に巨大なネットをぶら下げていった名も無き前任部隊のみなさんと、それを切り落としも焼き尽くしもしない日本軍の優しさだと思います。