ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -」を見てきました

公式サイトはこちらTVシリーズはまったく未見で、京都アニメーションの放火事件が無ければ見に行かなかったかも知れない。そういう動機というかきっかけで見るのはどうなんだと思うところもあったのだけれど、見に行って良かった。とても綺麗で、とても美しい、良質の長編アニメーション映画でした。

設定関係も特に事前に調べなかったし、プログラムは買って来たけどまだページを開いていない。以下印象と記憶だけで書いていきます。

「ドール」ってなに? とか「戦争」ってどんなんだったの? とかなんでヴァイオレットの義手だけは文明レベルを逸脱して高性能なの?などと判らないことはいくつもあったけどお話はちゃんと解って楽しめた。実際古典的というか「王道」ではある。意に添わず寄宿舎に閉じ込められた娘がいる。そこにやって来た「教師」との間にやがて奇妙な友情が生まれ、別れに際して真実が語られる。手紙が書かれる。数年後、血のつながらない妹は孤児院を抜け出して郵便配達会社を訪れ、そして――

郵便配達もの、というのは決して数多くはないけれど昔から確たる地位を占めるジャンルではありますね。「テガミバチ」や「シゴフミ」はアニメにもなったし、ライトノベル「ポストガール」は、むかしからお気に入りの作品だ。「ポストマン」というのもあったなーうんうん。手紙というのもいろいろで、いろいろな手紙が行き来する中に様々な人間模様を描き出す、そういうシチュエーションの作品群です。

さて本作では「手紙とは幸福を運ぶものである」というテーゼがかなり強めに主張されます。果たしてそれはどうなのかなと思わなくもないのがスレた観客の意見ではありますが、それはあくまでキャラクターの台詞として語られるものであって、果たしてこの世界がそこまで綺麗な場所なのかどうかは、また別のレイヤーに属することなのでしょう。とはいえ、そのテーゼを裏付けるが如くに、この作品の中で手紙を(郵便物を)受け取る相手は皆幸福であるように見える。

寄宿舎や孤児院、あるいは政略結婚という場に在ってはいくらでも暗い話や辛いエピソードを挿入できそうなものだけれど、一切それをやらなかったのには正直少々驚かされました。スクールカーストトップの貴族の子女は純粋に友情と交流を求めていただけだし、生き別れになった妹は実に健全で真っ当な孤児院で保護されている。結婚した相手の貴族は一切画面に出てこない。綺麗なことだけが、美しく描かれている。

そういうお話で、むしろ良かった。有難かった。なかなかね、出来る事でも無いだろうなとは思うのだけれどあーでも京アニの作品にはなんだかそういうイメージ強いかな。

 

幻想的ではあります。

 

眼鏡。

 

うむ。

 

…だんだん何を書いてるのだかわからなくなってきたぞ(笑)

 

光と影、屋内と戸外、人の心情や物語の機微に合わせて天候が変わっていくような演出はむしろお手本のように明確に提示され、そういうことの勉強にも向いているかも知れません。もしもこの作品を見てアニメーション業界を志すような方が居たら、それはきっと綺麗で、良い事なのでしょう。エンドロールを見ながらそんなことを考えました。

 

しかしまーわからんことはいくつかあるもので、いちばんわからないのはヴァイオレットのキャラクターだ。来年には新作映画が予定されているので、それまでには勉強しておかなければいけませんね。

 

ところで「師匠」のあの郵便配達青年は、なんで彼一人だけやたらと煽情的な服装だったのだ?それもまた謎である。まさか脚だけ女の子だったりするんだろうかそんな馬鹿なw

 

エイミーとテイラーのふたりがふたりとも、偽らざる心情を手紙として表出するのは「夜」である。その辺も濃厚だよなと思う訳です。

 

なにがってほら、

 

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非常に濃い目の百合でした。おまけにひとつはまだタマゴなんである。これぞ天啓というものであろうかいやあるまい。

 

ああ、ひとは強くありたい。決して角煮丼に混ざることのない味噌汁程度の存在であったとしてもだ。