公式。去年何も知らずに外伝を見て*1、その後TVシリーズを履修して*2、悲劇的な事件や幾度の公開延期を経て漸くに。劇場ではパンフレットが品切れでしたが、幸いこちらのサイトで正規に購入できました。
発送は9/23以降だそうですが、こういうのが増えると良いですね。もしもこの記事をお読みの方で、やはり映画を見たけれどパンフが入手できなかった方がおられましたら、くれぐれもメルカリその他の転売サイトではお買い上げならないよう願います。
さて以下はネタバレ全開なので隠しますが
ばばーん!ギルベルト少佐生きてましたばばばーーーん!!!!
知ってた(´・ω・`)
なにしろ両手に聖痕(スティグマ)を持ち水上を3歩は歩いたヘレン・ケラーが主人公の物語だ。そりゃ呼べばラザロだって出てくるだろう。などと思っていたけれど、本当になんの前置きも無く突然出てきたので、それはちょっとビックリしました(笑)
それはともかく、前日にちょっと気持ちを入れておこうとTVシリーズの最終話(13話)を見直していたのですが、どうせなら名作と名高い10話の方にしておくべきでした。なにしろお話の冒頭が10話のゲストキャラであるアンが死んだところから始まるので(´・ω・`)
主なパートは3つに分かれています。TVシリーズの10話では小さな女の子だったアンが成長し結婚し、1児(娘)を成すところまでが描かれましたが、その後彼女が年老い永眠し残された家族の夫婦と娘(アンの孫娘)の描写から映画お話は始まります。果たしてアンの人生が幸福なものであったかどうかはわかりませんが、いささか不穏な家族の関係、両親にわだかまりを持つ孫のデイジーが10話で執筆された手紙を見つけて自動手記人形ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンの足跡を辿るパートがひとつの軸。この時代には電信電話の発達で手紙を書く人も減り、代筆業は廃れてC.H郵便社も既に博物館となっています。郵便受付娘ちゃんが博物館案内お婆ちゃんになっていた!ガビーン!!
2つめのパートはTVシリーズより数年後の時代。世の中に電話は引かれガス灯は電灯にとって代わられ、C.H郵便社でもエリカさんはドールをやめて劇作家の道に進んでいる(7話に出てきた劇作家の弟子になっている)そんな時期のお話。ブーゲンビリア夫人の墓前でディートフリート大佐と再会したヴァイオレットは、ギルベルト少佐のことを忘れようとして忘れられずにいる。ブーゲンビリア家の私有する船からギルベルトの幼少時の私物を受け取り、様々に葛藤を続けるうちにひょんなことからギルベルト少佐の筆跡で差し出された手紙が発見され、差出人の住所である島(すいませんパンフ買えなかったんで名前が出せません)*3へと、クラウディア社長と共に赴き…
3つめは2つ目のパートから派生する物語です。ヴァイオレットは病床の少年ユリスから依頼を受けて手紙を書きます。死を予感した少年が遺書として死後家族へ届ける3通の手紙。そして本当に大切な4通目を書こうとして書けずにいるままヴァイオレットはライデンの街を離れてしまい、そして…
この3番目のパートはTVシリーズの10話とまったく同じ構造の話なんですが、ユリスを演じるのは10話でアンを演じていた諸星すみれさんなんですね。ちょうど立場は逆転していて、この構図は興味深いところです。
まちがえた。諸星すみれさんがやってたのはアンの孫のデイジーだ。パンフ買えなかったんでカンベンOTL
感想と称してあらすじを書くのはあまり好きではないのですが、ちょっと複雑な構成のお話なのでここは押さえておきたいところです。
そもそも代筆業というのは人の代わりに物を書くのが仕事であって、オペレーター本人の気持ちは本来書きものとは別のところに置かれているものです。本作の世界観にあっては代筆者(ドール)個人の為人が依頼者から感情と表現を引き出し、書かれる(タイプで打ち出される)文章をより良いものへと昇華させていく様が骨子となっておりますが、それにしても本人の直接の感情は、伝えるべき思いはどうなんだと、そういうことを痛感しながら見続けていましたね。第3パートのクライマックスでは手紙ではなく電話が、ひとの伝えたい思いを伝えたい相手に直接届けて、ドールの時代の終わりというのを予感させる作り。考えてみれば代筆という職業もタイプライターという新しい機械によって生じるところがあるでしょうから(実際には肉筆の代筆業というのもありましょうが)、より新しい機械が、新しい道具が、人々をより一層幸せに導くのならば、それは時代と共に表舞台から消えていくものなのでしょう。
ところで自分が自動車免許を取った四半世紀近く前には、免許センターの周辺にギリギリ代書屋が生き残っている時代でした。今はもうああいうのは無いのだろうなあ。そういえば原尞の沢崎シリーズでも伝言預かりサービスの女性が留守番電話にとって代わられるという描写がありましたな。
閑話休題。
それでえっと、色々あって実は生きていたギルベルト少佐と再会したヴァイオレットが、自分の本当の気持ちを手紙に書いて届け、それが少佐への最後の手紙となってお話は終わり…は、しないのですな。ヴァイオレットがC.H郵便社をやめてドールが廃れ、手紙を出す人自体がめっきり減つた現代(アンの孫デイジーが旅をする現代)でも、ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンはちゃんと手紙を運んでいるんですよ。というお話でした。めでたしめでたし。
あのね、いますぐ日本郵便はヴァイオレット・エヴァ―ガーデンとコラボすべきだと思うの。切手出してくださいよ切手!!!!
ぐらいのねー。
それでまあ、やっぱり泣ける話です。一番初めに見た外伝は「手紙とは幸福を運ぶもの」のようなテーマでありましたが、TVシリーズではもう少し複雑な、タナトスとしてのかたちもふくめての愛が様々に語られました。劇場版でもやはり「死」は色濃く作品全体を覆っていて、ユリスが亡くなる場面では場内からいくつも嗚咽が聞こえてきましたね。現代日本を舞台にした作品ではなかなか出せない(なにしろ癌と生活習慣病以外ではなかなか人が病死しない)不治の病も、異世界且つ現代よりは医学の進捗が遅れている世界ならば、それを主題として扱うのも容易なのだなーと、変なところで感心したものですが(苦笑)
海。海はなんか、今回のお話で大事っぽいです。ヴァイオレットのパートが開幕するのは海洋祭で代筆した「海への賛歌」が読まれるところからだし、ギルベルト少佐は海に囲まれた孤島の集落の中に己を隔絶して生きていました。TVシリーズのクライマックスでは飛行機や大空が人の思いを伝え渡していましたが、それが今作では海ということなんだろうな。ディートフリート海軍大佐は今回ずいぶん丸くなりましたが(体形の話では無い)、全然人望が身につかないのは人徳のなせる技かな(笑)そしてこれが結構大事なことだと思うのですが、10話でアンが平和裏に成長していたこと、今回の映画でデイジーが一人旅を安全に続けられること、そういうことを鑑みるに、ライデンシャフトリヒとガルダリク帝国のあいだに再び戦争が起こることはなく、両国関係はどうも平和であったらしい。それはTVシリーズでのヴァイオレットや様々な人たちの尽力が、決して無駄ではなかったことの証しなのでしょうね。
あと距離、か。作画のレイアウトに距離感や孤独を感じさせるものが多いような印象を受けました。表情を見せずに気持ちを隠して演出するのはTVシリーズでもよく見た手法で、外伝ではどうだったかな?見直したかったんだけどnetflix独占配信の現状じゃ地上波ローカルやCSでは流れないだろうなあ…
クラウディア社長は基本コミカルな役どころなんですが、割と今回は義憤に駆られて激高するような描写が多めに感じました。ギルベルトの元を訪れ生存を確認した際に、まるで地軸が傾くような驚きが表現されたのが何か面白かった。
それでやっぱり、ひとの本心が吐露されるのは夜なのですね。それは外伝見た時から変わってないようなあー、TVのときはそればかりではないか。まあいいか。京アニ作品名物の、空気を読み過ぎる天気も相変わらずの大活躍でした!!
度々書いてきたように、亡くなった人からの思いが手紙を通じて伝わるというのは全編を通じて大きなテーマでありますが、エンドロールに並んだスタッフの方々におかれては、あの事件で亡くなられた方も多いのだろうと感じます。映画を通じてその人たちの思いを受け止める、まるで作中人物の気持ちとシンクロするかのような体験を味わったこと、それは本来味わうべきような感情ではないのでしょうがしかし、そういう感慨を抱いたのは事実なのです。
京都アニメーション放火事件で亡くなられた人々のご冥福をお祈りします。そしてよりいっそうの深い感謝を、火災現場に残されたデータのサルベージに尽力された皆様に。
エンドロールの最後に流れた一枚の絵は、なるほどヴァイオレットはもう少佐に手紙を出さなくてもよいのだなと思わされる、それはとても良いものでした。
もう一回ぐらいは見ておこうかしら。
<追記>
パンフ入手しました。デイジーの時代は60年後だそうで、仮に「大戦」を我々の世界で言うところの第一次世界大戦(1914-1918)だと捉えると、1970-80年代ぐらいの文明レベルなんだろうか?ギルベルトやヴァイオレットのような傷痍軍人は、あまり長生きできなかったかも知れないなーと、あれ?アンが早死に過ぎじゃないかそれは…(´・ω・`)
<2回目>
池袋の東宝シネマズで。2週目なのでメインのシアターではなかったけれど、それでも十分大きなスクリーン。外伝に出てきたテイラーが劇場版にも出ていたぞ。という話を聞いて確認したらなるほどいました。博物館の展示品、CH郵便社一同記念写真の中にちゃんと郵便配達の制服を着て並んでた。よかったよかった^^
・ディートフリート大佐がよぅ。って声をかける場面、あれそこまで降りてきたんじゃなくてちょっと高いところに上がってるのね。まさか梯子は使ってないと思うがまーなんか面白い人だねあれも。そもそもいつどうやってエカルテ島に来たのかってそりゃ軍人だからな、なんか伝手があったんだよきっと!!
・そもそも電話で始まったユリスの依頼が電話で幕を閉じるというのは、それはそれで様式美ではある。それでも60年後の世界で、人は手紙を必要としている…
・帰りの船から海に飛び込んだヴァイオレットが、決して水上を歩むことなくむしろ地に足を着けて、ずぶ濡れのぼろぼろになって歩いて行くのはとてもとてもよかった。その後起きることは決して奇跡などではなく、不器用な人たちの実に自然な、人間的な葛藤と行為であったから。少佐の名を聞けば条件反射のように前に進んでいた脚が、いざその時には動かなくなる。腕で(義手であるいはarmsで)いくら叩いても、進めなくなる。願いと気持ちと悩みと逡巡と、様々なことが凝縮されていて、ほんとうによいシーンでした。
・入場特典ではじめて「小説」を読んだ、ギルベルトくんがヴァイオレットちゃんとイチャイチャしたりしなかったりする話