ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ジェリー・ユルスマン「エリアンダー・Mの犯罪」

 

ツイッター第二次世界大戦の起きなかったパラレルな世界を描いた作品と聞き、興味を覚えて手に取る。古い文春文庫ということでそんなきっかけでも無ければ読むことも無かったろうなぁ…。冒頭、まだ第一次世界大戦勃発前のウィーンで貧乏な画学生がいきなり謎めいた美女に射殺されるシーンから始まるのですが、よく見るとカバー画がまさにその瞬間を描いているんですね。若きアドルフ・ヒトラーを亡き者にすることで結果第二次世界大戦は回避され、時は流れて1984年。ヒロインのレスリーは長らく会わずに居たままだった父親が逝去しその遺産を受け取ると、そこには謎めいた手記とタイム・ライフ版「第二次世界大戦史」なる、起きてもいない戦争の詳細な記録が残され…という導入。レスリーの生きる1980年代と祖母であるエリアンダーの生きる時代が複雑にカットバックされていく中で明らかになるのは、ひとりの人間が時を越えて歴史を改変し、無償の愛のために準じた過去と、そして隙あらばいつでも軌道修正を試みる「時代」の暴力性といったところか。極めて近しいのはケン・グリムウッドの「リプレイ」かな?あれは歴史を改変しようとする人間の主体的行為を視点に据えていたけれど、こちらはむしろ傍観者として一体何が起きたのか、何が起こっているのかを謎解きのように読み明かしていく構成です。著者ジェリー・ユルスマンのこれが処女作だそうなんだけど、どうも他には邦訳された作品は無いようで。

登場人物たちがタイム・ライフ版「第二次世界大戦史」を分析して決してこれが荒唐無稽な作り話では無いこと、実感のある現実として立ちはだかってくるパートではちょっと「高い城の男」を思い出すような高揚感、架空の世界の架空の人物たちの焦燥を現実の自分(僕が、ですよ)が鳥瞰するような不思議な感覚を味わう。このめまい、SFである。

短いカットバックで繋がれる各章の頭には、その世界での新聞記事やニュースの断章が引用され、それもまた面白い。第二次世界大戦が起こらなかったからと言って世界は平和なままでもなく、1950年代のうちにソ連は崩壊し、大日本帝国大東亜共栄圏は1980年代まで持続している異世界というものが、おぼろげながら浮かび上がってくる。

傑作だと思うのだけれど、現在は絶版でまず復刊もしないでしょうからそれは残念ですね。ヒトラー以外にもナチスドイツの高級幹部が生きてたり死んでたりして、その辺の名前に通じてるとプークスクスするところもアリです(笑)