1930年代、突如として世界各地に現れた超人(オーバーマン、ドイツ語ではユーバーメンシェ)たちによる、第二次世界大戦への参入とその後の世界の争乱…というか「ヒーローと現代史」ものか。巻末解説にもあるようにこの分野は「ウオッチメン」が嚆矢でその他にもいろいろ、「ワイルド・カード」のシリーズだとかアメコミでも「マーシャル・ロウ」がやってた*1なあとか思うわけです。
本作では超人たちが誕生した理由がドイツ人科学者による量子力学実験の副産物というきわめて人為的な、いわば事故の結果であったり、その後各国政府に軍事利用されても歴史の流れは史実とほぼ変わっていなかったり、超人たちが歳を取らない設定で結果苦悩を抱え込むことになったりと、能力者の悲哀みたいなところにスポットが当たっているように思う。先行作品との違いはそのあたりかな。21世紀に書かれた作品なので、人類の闘争の歴史がオサマ・ビン・ラディンや911にまで達しているのも、先行作品との差異ではある。ウオッチメンの舞台は米ソ冷戦までの時代だったけれど、その先までコマを進めることができる。
とはいえ、現代を舞台にして主人公フォッグとオブリヴィオンの回想がモザイク状にフラッシュバックされる構成なので、あんまり年表というか編年的な感慨にはならない。むしろ過去と現在を行ったり来たりで揺れ動く視点の中で、一貫して変わらないものがあり、それが
愛
だと、まあそういう話かなあ。フォッグのゾマータークに対する愛も、オブリヴィオンのフォッグに対する愛も、どこか一方通行で報われない感があるのは、むしろそれがいいよなーとか。
それでも私は思うんです。時として人間は、自分は誰かを愛していると実感しなければいけない、と。
いつの世でも、背を向けるときが別れのときだ。そのことをわれわれはよく知っている。われわれもそうやって、心の傷を増やしてきた。
考えてみるとこれBLSFでもあるな。いや中年男性だけどなw
アメリカの超人たちがX-MENみたいな絵に描いたようなアメコミのヒーロー(的な能力者)であったり、ナチスドイツやソ連の超人たちはヴィランの様である一方で、主人公サイドのイギリスの超人たちはひたすら地味な能力を駆使するところはなんかそれっぽくて良い。能力というか、そういう「運用」をされているのだけれど。
文体もちょっと変わっていて、会話はダッシュを使うか地の文の中に記述され、語り手は「われわれ」として記述されるけれどその「われわれ」とはいったい何者なのか、そこは記されない。まあそれはきっと「われわれ」なんでしょうねえと思うのですが。
*1:Marshal Law: Blood Sweat and Fears Amazon | Marshal Law: Blood, Sweat and Fears (Marshall Law) | Mills, Pat, O'Neill, Kevin | Science Fiction