全13本、かなりのボリュームとなる短編集。グロテスクなものからハートフルなもの、様々な作風のものが収録されてジョー・ヒルの多彩さが伺えます。「よく出来た短編集は作家のポートフォリオである」学説*1を補強する良い見本だ。学説ってなんだよ。また2本は実父スティーブン・キングとの共作で、どちらも先行他作品へのオマージュみたいな内容ではある*2。序文と著者本人による解題(作品ノートと謝辞)にかなりのページが割かれていて、そこに書かれた生い立ちや成立過程を見ると、なんというか伝統に乗っているのだなーと。スティーブン・キングが「レイ・ブラッドベリの子供」だったような意味で、ジョー・ヒルは「レイ・ブラッドベリの孫」なのかも知れません。ブラッドベリだけじゃなくてね。
先行他作品への敬意に溢れた作品が古臭い内容かと言えばそうではなく、いずれも現代社会に合わせたブラッシュアップは行われているわけで、いずれ21世紀を代表する怪奇小説作家として伝統の上に乗るような人なのかも知れません。しかしぞれぞれの作品が題材とするいわば「アメリカの病」みたいなものも、現代社会に合わせてブラッシュアップされているのだなーと、思うところで。帰還兵ネタに困らないというのも、それは困りものだろうな。
以下、全てでは無いけど気に入った作品をいくつかピックアップしてみる
・「遅れた返却者」
本書収録作品の中ではこれがいちばんよかった。ちょっとジャック・フィニィのようでもあるノスタルジックさで、移動図書館の運転手兼貸し出し職員となった主人公のまえに現れる、過去からの返却者。返却期限を過ぎたまま亡くなってしまった人たちを救済する奇跡と、あるベストセラー作家に与えられた、やはり救済の物語なんだろうなあこれ。過去から返却される本として真っ先に出てくるのがハインラインの「ルナ・ゲートの彼方」だったので得点爆上げですw
・「階段の悪魔」
説明するより見てもらった方が早いけれど、タイポグラフィを用いた作品。
イタリアの山間部を舞台に山道の階段を登ったり降りたりしながら展開していく物語で、斜面の九十九折りをそのまま文面に表わしたような形式です。こういうのはよく「実験的」と評されるけれど、もうずいぶんと昔から色々な作家がやってきたことではあるし、もはや実験の段階はとうに過ぎているように思われる。それで、話の中では主人公は山道を登り降りするのだけれど、文章の配置は一貫して「下」に向かって降りていて(冒頭付近に一か所だけ上に登るところがあるので、全体が下りだというのはよくわかる)、最後まで読むと「山道」ではなくて人間の「魂」が堕落していく話だったんだなーとわかる仕掛けになっている。
・「死者のサーカスよりツイッターにて実況中継」
ツイッターの型式を踏襲した小説というのは日本では文フリなんかでも売ってるだろうけれど(笑)、女の子がゾンビサーカスに迷い込んで襲われる様を「実況」するというのはあー、それ自体もいくらでもありそうなスタイルではあるけれど、ウェイクフィールドの「ゴースト・ハント」*3では怪奇の実況をラジオがやってたんで、そのへんの違いを比べると面白いなーと。
・「シャプレーン湖の銀色の水辺で」
レイ・ブラッドベリの「霧笛」へのオマージュとして書かれた恐竜もの。主人公の視点を幼い少女にすることによって、非現実的な物語にうまいこと足場(ってなんだ)を組めているように思う。そして一転してラストに残酷さを持ってくるところもまた、単にブラッドベリの追従者ではないなーと。それでこの作品、Netflixでドラマ化されてるんですって。
・「解放」
旅客機の機内という密閉状況の中で、超常現象ではなく人間が起こすものとしての恐怖を、乗員乗客の様々な視点から描いたもの。いかにもポスト911でありながら、そして破滅的なエンディングを迎えながらも(タイトル通り)読了時に一抹の解放感を受けるのは腕前ですよねやっぱりね。このラストと、雲海の下から無数の「雲柱」が伸びてくるシーンを思うに、これスティーブン・キングの名作「霧」のオマージュなんだろうな。
他にも良い作品、気づいた点などありますがまあこのあたりで。
*1:https://abogard.hatenadiary.jp/entry/2018/07/25/210236