原著は2014年に刊行された最近の作家によるクトゥルフ神話作品集。本邦初訳というものも多いけれど以前学研が出してた「インスマウス年代記」に収録されていたものもあるそうで。「インスマウス年代記」は未読だったからまあ、ちょうどよい。
<上巻>
ニール・ゲイマンやキム・ニューマンといった脂の乗った作家だけでなく、その昔モダンホラーがブームの頃に見た名前が散見されたので手に取ってみたのだけれど、むしろ初見の作家による作品の方が面白いような。そしてあまりクトゥルフらしくない作品の方が面白いような気がする…
上巻ではインドネシアを舞台にしたナディア・ブキン「赤い山羊、黒い山羊」、堕天使テーマのエリザベス・ベア*1「非弾性衝突」が面白かった。どちらもクトゥルフ神話というか普通に伝奇ホラーみたいな感じではあるのだけれど、クトゥルフ神話も最早伝奇というか古典の域には達しているのかも知れないね。
期待したキム・ニューマンの「三時十五分前」はあまりに短い掌編で、主に駄洒落というか韻を踏んだ(英語で韻を踏んだ)会話と歌詞の掛け合いを読ませるようなものだけにいささか難しいかもだ。ニール・ゲイマンの「世界が再び終わる日」も短めで、名の知れた作家の方がボリュームが少ないというのはいかにもアンソロジーっぽくはある(笑)
しかしこの上巻では<あの!>「暗黒神ダゴン」を書いたフレッド・チャペルが「残存者たち」というジュブナイル風味で(!)さわやかなハッピーエンドを迎える(!!)冒険SFをものしている(!!!!)あの、あの「暗黒神ダゴン」を書いたフレッド・チャペルが、だ!!!!!!!
あ、もしかして中身は別の生命とすり替わっているのかもしれない。精神寄生体こわい(´・ω・`)
クトゥルフ神話の怪物やテーマと「その他の何か」*2を噛み合わせたような話も多いので、巻末解説が「ゴジラVSクトゥルー!?」なんてタイトルになっちゃうのもわからんでもないけれど、しかしこの解説の内容はちょっと雑じゃあないかしら。誰が書いたかは、明記しませんけど(´・ω・`)
<下巻>
小粒な作品が多いなァ…などと思う中、スティーブ・ラスニック・テムとかカール・エドワルド・ワグナーと言った実に懐かしい名前があるのが嬉しい。前者は「深き霧の底より」、後者は「闇がつむぐあまたの影」をそれぞれ十代に読んでいる。どっちも創元で、それ以降は翻訳が無かった…
テムの「クロスロード・モーテルにて」は「ダンウィッチの怪」をオマージュしたような異種族婚で、いわばウィルバー・ウェイトリーの(ような立場の人物の)視点で語られる文章自体が狂気じみててよい。
ワグナーの「また語り合うために」はこっちに置いといて(オイ)、ジョー・R・ランズデールの––この人はよく名前を見るけど読むのは初めてかも知れない––「血の色の影」というのがとても良かった。「エーリッヒ・ツァンの音楽」にティンダロスの猟犬を混ぜたような、といってもエーリッヒ・ツァンでもティンダロスでもない、なんとまあロバート・ジョンソンネタだ。「俺と悪魔のブルーズ」ってありましたね…。こちらの作品にも「クロスロード・レコード」なる店舗が出てきて重大な要素となるのだけれど、そこであらためて先の「クロスロード・モーテル」というのも、そもそもがそういうことなんだなーと気づかされた。これはちょっと面白い読書体験。
下巻の解説は内容に即したものになっていると感じました。しかしいかにも箔づけに著名作家呼んで…というのはいかにもいかにもだ(何)
上下巻読み終えて、正直玉石混交だな…などと思っていたら一番最後に翻訳者植草昌実自身による「あとがき」があって、そこでちょっと軌道修正される。なるほどクトゥルフ神話ではない「ラヴクラフティアン・フィクション」ね。「らしくなさ」こそがむしろ「らしさ」であって…という。これむしろ巻頭にあったほうが良かったんじゃあるまいか。HPL本人の作品は今現在複数の版元から新訳が刊行されていて、そういう状況でちょっと毛色の変わった「ラヴクラフティアン・フィクション」の立ち位置というものを考える。真クリの後半作品が好きな人ならいろいろ楽しめるかもしれません。むしろがっちり入門しようと思う人には向かないかも知れませんが…
しかしこの内容で、いまどきはwikipediaあたりの記述が余程充実しているような、「怪物便覧」を載せる必要はあったのかしら???
そして思うに、真に「ラヴクラフトの怪物たち」というのは、彼ら作家のことであり、我ら読者のことなのだ。
*1:「スチーム・ガール」の人ですね https://abogard.hatenadiary.jp/entry/2017/12/03/201344
*2:狼男とか