- 作者: ロバート・W・チェイムバーズ,大瀧啓裕
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2010/07/22
- メディア: 文庫
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チェンバースじゃありません、チェイムバーズです。と、いうわけで検索する人はテレヴィ節に気をつけよう。この作品が「黄衣の王」なるとある戯曲にまつわる連作短編群だとは知っていたけれど、実際の内容がどのようなものだか全貌は知らなかったのでかなり分厚いページ数に驚いた。いざ読んでみると「黄衣の王」は小品四作だけで本書の八割方は全然関係ない長編「魂を屠る者」に費やされていてまた大瀧先生にしてやられた気分ww
100年前の「モダン・ホラー」も100年立てば歳古びた「伝奇小説」になるのかな?読んでてそんなことを考えました。「黄衣の王」に「おういのおう」とルビが振られてたのはかなりのショックで、長年にわたってずっと「きいのおう」だと思ってましたよ俺キィキィ。四部作あるなかで強烈なのは「評判を回復するもの」か。架空未来史なのだか狂人の夢か、どちらともつかない謎めいた展開と結末が、後に語られるまったく日常的な現在――当時の「現在」――を舞台にした「黄の印」では過去に起きた友人の事故として触れられる不可思議。ところでこの「黄の印」は以前に「ク・リトル・リトル神話集」で読んでいる*1。荒俣宏はよくこの作品を選んだものでその炯眼には驚きだ。少なくとも本書と訳者による解説を読んだ限りではいちばんチェンバースらしい作品なのかなと、思わされた。画家である主人公、モデルのヒロイン、そして全編を占めるロマンス。
読んだ人間が発狂するという曰くつきの戯曲「黄衣の王」が、しかし一体何を描いた作品なのかはほとんど明かされないところは実にミステリアスです。神々とか真理とか、どうもそういうことではないらしいのだが…
あの邪悪なページで何らかの明確な道徳規準が冒涜されているわけではないし、何らかの見解が広められているわけでも、信念が踏みにじられているわけでもない。既知の標準では判断できないのだが、芸術の至高の調べが『黄衣の王』に鳴り響いていることが認められながらも、人間性はその調べに耐え切れず、純粋きわまりない毒が潜む言葉を味わうことができないと、そう誰もが感じてしまうのだった。
この箇所の記述を見る限り「芸術的に邪悪」なので読んだ人間キチガイになりますと、そう言ってるのはガイキチな人物なんだけどな。
長編「魂を屠る者」についてはオカルトと黄禍論と共産主義批判をごた混ぜにしたちょっとシーベリイ・クイン「悪魔の花嫁」*2を思い出させるパルプホラー調な作品で…と思ったらこっちのほうが10年以上先んじてるのか。「かつて暗殺教団の神殿で巫女として霊能力を高められたアメリカ人女性が、世界の破滅をもくろむ八人の妖術師と魔術戦を繰り広げる」などとカバー裏に書かれると否が応二も盛り上がる…けれどまあ、古い作品ですね。件の女性霊能力者トレッサ・ノーン嬢が母国で政府の秘密諜報員ヴィクター・クリーヴズくんの保護を受けるために同居せざるを得ず、男女同居では世間体が悪いのでいきなり結婚してしまう流れには驚かされる。がーしかし合意の上でケコーンしたとはいえそれは成り行きの結果なのでふたりは手を握るだけでもどぎまぎしちゃうの。だって1920年代のひとたちなんだもん。
( ゚Д゚)
過去ってただそれだけで伝奇的なんだな…
余談。「魂を屠るもの」の悪役はイスラムとモンゴルとヒンドゥーがごた混ぜになって赤化したようなスーパー秘密結社(笑)なのだが更にその組織がアメリカで行動するにあたって
――共産主義者、口先だけの社会主義者、敵性外国人、テロリスト、ボルシェヴィキ、似非知識人、世界産業労働者組合の組合員、いわゆる流行を追う物好き、あらゆるたぐいの素人のおせっかい、こういう多種多様な堕落した、愚かな、精神の箍(たが)がはずれている者たちのすべてが「掠奪者の結束力」と脳髄の劣化によって団結したのである。
・・・アメリカってむかしから「アメリカの敵」が多いんですね。
そんな大仰な連中がいちいち暗殺予告するための経帷子としてホテルのシーツを盗んで来るのでアシがつく展開ってそんなんでええのんかい。