- 作者: 山内進
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2006/04/08
- メディア: 単行本
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「私の考えでは、良い戦争とか悪い平和といったものは、あった例がない」と言ったのはかのベンジャミン・フランクリンである。*1が、やはりアメリカ合衆国にとって独立戦争は「正しい戦争」であっただろうし今現在でもそうだ。その違いは何だろう?何をして人は――いや文化は、だ――「正しい戦争」を規定するのだろうか。
といった様な内容の本。間違っても戦争行為を正当化する論などではないので、誤解なきよう。稀にこの分野はタイトル見ただけでゲキドるヒトがいたりもするのでまあ一応。
歴史的にはキリスト教またイスラム教にも正戦論は在って、然しながら双方ともに本来は人々に武力を行使させないための教理であり、それは現在の国際法が規定するあるいは否認しながらなお武力が行使され続けることと相似なのかもしれない。理念よりは機会主義的に発生するだろうなとは、考えるのだが。
人道的介入という概念があって、NATOによるコソボ空爆が例証として挙げられその是非が論じられているが、ミャンマー台風被害に際して現地(軍事)政権の認証を経ない、強制的な医療支援を行うべきか否かなんて話が出たのを思い出した(即座に立ち消えたが)。
本書とは直接関係無いが、思うに戦時体制下で起こる価値観のパラダイムシフトは開戦事由を後付で補強する。平時には思ってもいなかったことが、戦時下ではいくつも実行される。戦争は正しくなる。
「開戦する方が正しい」と認識されるような機会を生み出さないことが、きっと大事なんだろうな。それは政治かそれとも経済か?
余談。
戦時体制下でいろいろパラダイムシフトしちゃった例。
「その時にはそれが正しいと思った」んだろーなーパンジャ(ry