ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

オーガスト・ダーレス「クトゥルー」

クトゥルー〈2〉 (暗黒神話大系シリーズ)

クトゥルー〈2〉 (暗黒神話大系シリーズ)

自分がいわゆる「クトゥルフ神話」を読み始めた頃、青心社の暗黒神話大系シリーズは創元推理文庫の「ラヴクラフト全集」と並んで非常に役立つ入り口だった。当時は意識して系統を立てずただ図書館で見かけた物を漫然と読んでいたような有様だったので、全てを網羅したとは到底言い難い(国書刊行会の定本や真クリもあったので、重複するものは避けていた気がする)なか、本書だけは明確な意図で読まずに済ませていた。理由は簡単「ダーレスだから別にいい」だ。

当時もまたしばらく経ってからも、日本のクトゥルフ業界でダーレスの地位って不当に貶められていた気がする。ラヴクラフト原理主義的、とでも言えば良いか。不思議なのは「タクティクス」を代表とするゲーム業界でもダーレスって嫌われてた*1気がして、グループS○Eや山○弘もしばしば批判的な論考を挙げていた覚えがあるのだけれど「ラプラスの魔」なんてまるっきりダーレス的な解決だよなーと、今となっては思う訳です。

そんな遠回りをしながら漸くにオーガスト・ダーレスの代表作である「永劫の探求」です。第二部「エイベル・キーンの書置」のみ以前に「ク・リトル・リトル神話集」*2で既読(同書での邦題は「インスマウスの追跡」となっている)でしたが、数あるクトゥルフ作品でもある意味古典中の古典。連作短篇の形式を取り、個々の作品は確かにHPLの模倣、追従と言われても仕方ないかなと思うけれど、連続した先に見えるのは20世紀初頭のパルプ小説では終わらせない、現代まで続く大系の基盤となった広がりか。アレンジメントとして明らかに「なにか誤解している」感を受けるのは否めない、けれどそれでさえ「人類に真実は見えていない」要素として機能している…ような。狭い師弟間のサークルだけではなく、広くファンの層が造りあげて行くシェアードいやアドオンワールドノベルに仕立て上げたのはやっぱダーレスの功績だな。

「永劫の探求」がなければケイオシアム社のRPG「クトゥルフの呼び声」も無かったろうと、思います。「腕力あり有能かつ想像力にとぼしい青年を求める」と言われてシュリュズベリイ博士に弟子入りしちゃうアンドルー・フェランくんとその一派が、やれ爆破だ放火だ核攻撃だとやたらに荒っぽい解決法を取る度にお前は俺かと元あらびきゲーマーは懐かしく思うのであったww

「わしの唯一の疑問はこの書きつけを世間にもたらしても危険はないかということだ。しかしわしが巨石から写しとったものを信用して読む者が大勢いるなど、心配しても仕方がないな。フォートは死んだし、ラヴクラフトももういないのだから」博士はそういって首をふった。


やっぱりオーガスト・ダーレスノスタルジアのひとなんだなあ。しばしば批判される稚拙さもまた、本質はそこに根ざしていると思われる。

そして思う。あと10年もすればもしかしたら、「タイタス・クロウの帰還」*3を再評価出来る日が来るかも知れない、と――

そうそう、この本文庫初版は1988年ですけどハードカバー版はもっと前のハズで、大瀧センセがまだお若いころのためでしょうか、文章がすごく普通です。

*1:なんだかレーニンに対するスターリンみたいな種類の嫌われ方だ

*2:http://d.hatena.ne.jp/abogard/20060910

*3:http://d.hatena.ne.jp/abogard/20081115