ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

リン・カーター/ロバート・M・プライス「クトゥルーの子供たち」

クトゥルーの子供たち

クトゥルーの子供たち

人間が、ただ人間だけが、<門>を開いて<古きものども>を解放できるのだ!

「時代より」

日本のクトゥルー受容におけるリン・カーターの位置づけって微妙だな、と思う。クトゥルー神話全書*1は80年代に流布していた多くの言質の、いわば底本となる資料だったのに翻訳されたのは21世紀を10年も過ぎてからだ。編集者や研究家としての名前はしばしば取り上げられていたけれど、具体的な成果が紹介されることは少なかったように思う。作家、小説家としての側面が紹介されることは遥かに少なく、印象に残るものもあまりなかったように――個人的には――思います。

連作短編集「THE TERROR OUT TIME(超時間の恐怖)」を中核に追補となる作品を加えた本書を読んだら、この人の評価をちょっといやかなり、上げなければいかんなあと認識を改める。面白い。

他にもれず自分もクトゥルフの扉を開いたのは80年代当時にホビージャパンから刊行されていたRPGなのだけれど、その頃にTACTICS誌であるとか周辺の出版物ではほぼ例外なくラヴクラフトを称え、オーガスト・ダーレスを腐すのが定型のようになってました。でもこれちょっと変な話で、ロールプレイングゲームクトゥルフの呼び声」はラヴクラフト本人の作品の著作の雰囲気とは全然違っているからだ。パーティを組んで探索なんて少しもラヴクラフトらしくないぞ(「ダンウィッチの怪」だって3教授が主役ってわけじゃないしね)。むしろゲームシナリオや世界設定はダーレスよりじゃないかしらんとなんとなく思っておりましたが、ケイオシアム社がクトゥルー神話諸作をゲーム化すなわち「システム化」するにあたってもっとも近しいのはリン・カーターだったんじゃないか!

すごく乱暴にまとめるとラヴクラフト的な良さとダーレス的な面白さが大変高いレベルで融合したような、そんな読後感を受けます。「ザントゥー石板」や「ポナペの小像」といった独自のガジェットを魅力的にちりばめ、ムー大陸の設定を大胆に取り入れ、先行諸作品や作家を楽屋オチに使うセンスはラヴクラフト・サークルの雰囲気を色濃く残して、「ゾス神話群」というひとつのサーキットを作り出す。いいねえ

指かよッ!とツッコミを入れた「奈落の底のもの」の一歩間違えたら大馬鹿ギャグなところも実にクトゥルーだなw

元々は個別に発表された短編を時系列に沿って再構築・編集を加えたもので、「墳墓に住みつくもの」は「墳墓の主」タイトルで真クリ5巻*2に入ってました。ただこの時はあんまり印象良くなくて、いま読み直してあんま面白くないんだよな(わらい)。連作の一部として組み込まれることで、ラストシーンに意味が付け加えられたということでしょう。また連作化の際にミ=ゴの描写が雪男から有翼菌類生物に変更されていることに注意。

一番のお気に入りは「ウィンフィールドの遺産」でよくあるダーレス的な遺産相続ものなんだけれど、終幕での意識の変容はラヴクラフト的な良さがあります。これをして代表作と捉えても良いんじゃないかーと悦に浸っていたら、ロバート・M・プライスによる続編「悪魔と結びし者の魂」でなんか小さくまとめられちゃってしょんぼり(´・ω・`)

森瀬遼・立花圭一の翻訳陣は巻末解説のみならず丁寧に訳注を付していて好感が持てます。このスタイルこそ21世紀の読者に向けたふさわしい体裁ではないでしょうか?少なくともPHPのアレらでないことだけは確かだw