ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

「ほこ×たて」のラジコンvsスナイパー対決のこと

自分がただの一度も見たことがないバラエティ番組についてぐだぐだ言うのも気が引けるけど、やらせひどいとかはいはいBPOBPO以前に「動いている小さな物体を射撃で破壊する」ってそもそもスナイパーの仕事じゃないでしょ。フィギュアスケーターに雪かきやらせるぐらい縁遠い話で、もしもそういう任を務めるならばそれは機関銃の弾幕射撃か、あるいはスナイパーがラジコンじゃなくて操縦者本人を狙うべき。狙撃ってそういうものですよ、バラエティ番組にはならないけれどね。

話によると以前にもラジコンは鷹狩りや猿回しと「対決」したそうなんだけど、鷹や猿はラジコンと対決するために調教されてる訳ではないし、なんだか一連のテーマを企画した人間の常識を疑う。「非常識を提示することで笑いを促す」ことが番組の目的だとしても、依って立つ基盤が怪しい物ならば、それでは砂上の楼閣すら建たないだろうな。

ほこ×たて」は自体は未見ながらどうもこの不自然な「対決」の感覚は既視感があるなーと思ったらあれだ、「トリビアの泉」だ。「拳銃と日本刀が戦ったらどっちが勝ちますかね」とかで、万力に固定した日本刀を.45口径で撃ったら弾丸粉々日本刀万歳。みたいな企画。これは番組見たんではっきり覚えているけれど、日本刀の方は刀鍛冶による製造過程から事細かに説明し拳銃の方もアメリカの代表的な銃として「コルト・ガバメント」の歴史について詳しくやってたけれど…


肝心の弾丸についてはひと言も触れてなかった。


拳銃弾ってものによっては人体の内部で割れたり砕けたりすることで被害を与えるタイプの弾頭もあるので、単純に「日本刀が弾を割りましたから拳銃の負けです」ってことにはならないんだよなーと、そんな疑問を感じたことを思い出します。今になって考え直すと万力に固定している段階で日本刀の負けじゃないのかって気もしますが(笑)

その後「トリビアの泉」の対決路線は(例によって、か?)過激さを増して鉄砲のリベンジで今度は日本刀vs重機関銃日本刀は粉々になりましたが12.7mm弾に一発堪えました万歳とかバズーカ砲vs防弾ガラス速攻ブチ割りましたからガラスの厚みを倍にしました万歳*1とかどんどん無意味な方向になっていってあとは知らないけど、今回の件と同じスタッフが関わってても驚きませんな。「リベンジ」はどうもキーワードのようで、「一度の勝負で決まったら番組内容的に盛り上がらない」企画を出しちゃうことが問題の根っこにありそうですね…

世の中色んなものをすぐに「対決」させたがるけれど、果たしてその対決に意味はあるのか、勝ち負けで一体何が証明されるのかは、見る側の観客も冷静になって捉えた方が良いのかも知れません。「異種格闘技」の面白さってあるけどさ、アントニオ猪木がリングに寝そべってローキックで勝ったからってモハメド・アリより「強い」ってことにはならないんだよなーと、考えてみりゃこれもテレビの企画なんですよねうううむ。

余談。

以前やはりテレビのバラエティ番組であー、テレ東の「あにそんプラス」だったかなあれは。声優の上坂すみれがミリタリー系のホビーショップ(エチゴヤ新宿店)を訪れていろいろ楽しむって内容のものがありまして、番組内の企画で店舗のシューティングレンジを利用した射的のゲームをやってました。これがまた面白いように命中して本人も大喜び、番組的にも盛り上がる。これにしたってよくよく見れば通常の射距離のレンジで狙撃用のライフル、トライポッドを架台に固定しておそらくはショップ側のスタッフが調整したスコープまで使って撃ってりゃそりゃ当たって当然だ。これでもしナレーションが「上坂スミレは最強のスナイパーである」とかなんとか過剰なフカシをいれたらヤラセも良いところだけど、幸いにしてそういう事はしなかったように思います。番組もタレントも取材を受けたショップも全て「楽しさ」を提示できていて、あれはよかったな。

まーもしその番組を見てエアガンのカラクリに気付かずに「上坂すみれは最強のスナイパーである」なんて信じ込んじゃう人がいたとしたら、それは見る側と作る側と一体どちらの問題なんだろうと思わなくもないけれどな。

ともあれバラエティ番組って楽しむためのものでさ、そこにゲーム的な勝ち負けが存在するにしても、勝負自体は正当な物であるべきだよね。そうでなければ敗者が浮かばれない。と、ここまで書いて気がついた。「ほこ×たて」の語源となった「矛盾」って故事成語

 そ も そ も イ ン チ キ な 商 人 の 話 だ !

そんなタイトルを冠した番組の内容を真に受ける方がマヌケだってことになるんだろうか…

*1:「バズーカ砲」ことRPG-7と防弾ガラス対決の感想は過去記事にあるはずです。これにしたってHEAT弾頭は本来金属製の装甲板を撃ち抜くためのものであって、果たして所定の性能を発揮した上でガラス板を貫徹していたのかは甚だ疑問である