ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

アンリ・イスラン「マルヌの会戦」

マルヌの会戦 - 第一次世界大戦の序曲 1914年秋

マルヌの会戦 - 第一次世界大戦の序曲 1914年秋

第一次世界大戦について日本ではまだまだ知られていることが少なすぎるように感じる。勃発100年を受けて邦訳された本書の、原著の刊行は50年も前の1964年のことなので、この分野の立ち後れはいかんともし難い。それはつまりフランス人が太平洋戦争の何を知っているのかという問いかけにもなるのかも知れないけどね。

さてマルヌの戦いと言えば大戦初期、シュリーフェン計画に基づくドイツ軍の進撃を押し止めた「マルヌの奇跡」の舞台として(それなりに)名前は知られているものと思われます。主に1914年9月5日〜9日に行われたこの戦闘の詳細とその前後の時期について、フランス側の視点から記述されたもの。フランスの地勢や両軍の人名など基本事項をほとんど知らないものですから、読み進めるのは意外に苦労させられました。

地味と言えば地味でもある。第一次世界大戦の地上戦闘として代名詞のように語られる塹壕戦はこの会戦の後に(この会戦でドイツ軍の進撃が途絶えた故に)始まったものであるし、そこで膠着した戦況を打破するために戦車が投入されるのは更に後の時代のこと。

マルヌの会戦は、古典的な戦略原則に従い、砲兵に支援された歩兵集団が遮蔽物のない場所でぶつかり合った西ヨーロッパにおける最後の大会戦である。一言で言えば、フリードリヒ大王、或いはナポレオン流の最終決戦なのだ。


現代の始まりというよりは近世の終わりといったほうがよいのでしょうね。それでも航空機や無線電信は実用化されていて、20世紀の戦争がその目を開けているのはまた確かか。航空機の使用はまだ偵察と砲兵観測に限られ、無線電信による連絡は断片的な情報しか伝わらず却って決断を妨げる程度のものでしかないのですが。

「決断」はひょっとするとこの本の主要なテーマとなっているのかも知れません。ジョッフルやガリエニといったフランスの将軍、対するドイツ側のモルトケやフォン・クルックなど上級指揮官たちの言行が詳しく記され、フランスとドイツの統帥方法や概念の差から来る意志決定の違いは本書の著述に重きを置かれています。第五章「論争と解説」を読んで納得したのですが、両陣営とも会戦の直後に勝敗の責任を過剰に個人に求めたきらいがあり、むしろそれを払拭するような意図があるようです。その辺りの事情を含めていないとこの本の価値は解らないのかも知れないなあ。第二次世界大戦とは違って強力なカリスマ的指導者を持たないのはこの時代の特徴と言えるのかも知れません。しかし動員規模はむしろ大きく、第一次世界大戦を通じて誰の責任と帰せられぬまま長く戦争が続いたことが、あの大規模な死傷者数を出した原因だろうかと、そんなことも思います。

「マルヌの奇跡」でよく言われるタクシーを挑発して兵士を輸送させた有名な話も出てきます。しかし扱いとしては小さな物で、戦後さかんに喧伝されたほどには役に立った訳ではないようで、それもまたよくある話ではあり。フランス軍の制服がやたらと目立つ「赤ズボン」だったのは鉄条網や塹壕のない野戦に於いてもやはり致命的な弱点となったのはよく伝わります。、

著者アンリ・イスランは1918年に行われドイツの敗北を決定づけた「ルーデンドルフ攻勢」についても著述があり翻訳も予定されています。第一次世界大戦は20世紀のヨーロッパのみならず広く全世界に後々まで影響した出来事でありますから、日本語で読める情報は増えてほしいものです。

本書を読んで得たいちばんの収穫はマルヌの会戦なるものが「マルヌ川周辺で重要な戦闘が起きたわけではない」と知ったことなんだけど、それでいいんだろうか自分(笑)