ああっッ…ああああッツ!!
などとうっかり変な声が出そうになったクリスマスデート回を含む第5巻。危うく一線を越えるところだった二人のロマンスの行く末はどっちだ。
今回は日野くん主役エピソードも有りです。日野くん最高にかっこいいです。
あと今回初めて本作で18禁同人やってるひとの気持ちが!わかりました!!(サイテーだお前は
ああっッ…ああああッツ!!
などとうっかり変な声が出そうになったクリスマスデート回を含む第5巻。危うく一線を越えるところだった二人のロマンスの行く末はどっちだ。
今回は日野くん主役エピソードも有りです。日野くん最高にかっこいいです。
あと今回初めて本作で18禁同人やってるひとの気持ちが!わかりました!!(サイテーだお前は
ガルパンのいわゆるスピンオフ作品の中でも極めて異色の一作。絵柄からなにから異色というか異質で、原典との大きな違いに受け付けない人も居るかもしれない…ぶっちゃけ別のマンガではあるんだけれど、考えてみれば「リボンの武者」だって別のマンガだし、あんま気にしない方が宜しい。
名前だけ設定されて映像本編には未登場の伯爵高校(ルーマニアがモデル)の戦車道チーム*1、小檜山野咲(こひやまのえみ)を主人公に描いたもの。タイトルにもあるように「魔女」に大きく焦点が当てられて…というようなお話。展開としてはサンダース校との練習試合を軸に随時回想シーンを差し込んでいくようなかたちで、Comic Walker でウェブ連載 読んでるときには一回あたりのページ数が少ないこともあってかなり断片的に見ていた内容を、単行本でまとめて読むとやっぱり違うものですね。第14話の魔女先輩カラーページに釣られて良かったな(笑)
キャラも戦車も背景も丁寧に描き込まれ、特に頭身の高いプロポーションで描かれるキャラクターは所作や服飾含めてセクシーでヨシ!その辺はベテランの技か。「説明」の少ない構成なのでよくよく注意しないとうっかり読み落とすところもあるのね。野咲の戦車(III号N型)が車体機銃手欠員の4名で運用されてるのに初めて気が付いたぞw
この上巻は13話まで、野咲のIII号が損傷し伯爵高校チームが「カルシャリ」を踊り出すところまでの収録で、いよいよ伯爵側が本領を発揮しはじめる(であろう)後半にも期待が寄せられます。戦術構成についてはおなじみ才谷屋龍一先生が補佐しているそうなのだけれど、対戦相手にサンダースを選んだのはどちらの発案なんでしょうね?ケイ・ナオミ・アリサ3人の役割分担(特にコミックリリーフとしてのアリサの役割)がハッキリ分かれていて扱いやすく、また適度に強力なチームでもある。黒森峰でも聖グロでも、こういう役をやらせるのは難しいんじゃなかろうか。シャーマンばっかで描きやすいからでは?という当然の疑問はさておき。
ところで伯爵高校チームの戦車編成はIV号長砲身(H型と思われる)×1、III号戦車N型×2、III号突撃砲G型×1に加えてルーマニア国産のマレシャル駆逐戦車×1と車格にも火力にも優れた戦車が多く、その他の基幹車輛もLT-38/35戦車*2とエラく強力な布陣なんだけど、なんでこれで全国大会不参加なんだろうわらい。というのは突っ込んだらいけないところなのか、あるいは伏線があるのか…?
どっちにせよ以前対戦しているアンツィオ高校相手には楽勝だったと思われるw
「20世紀の幽霊たち」*1で大絶賛されたジョー・ヒルを久しぶりに。その後もいくつか作品は出ていたけれど、その時ほど称賛の声を聞かなかったことも確かなので(もしや失速したのでは…)などと思っていたけれど、そんなことは全くの杞憂でした。むしろ全速力でした。
以前はこの人の血筋というのをあまり気にせず読んだのだけれど、今回はハッキリとスティーブン・キングの息子なんだなと見て取れる。父親が敷いたアメリカのモダン・ホラーという伝統を強固に受け継ぎ、現代の視点と問題意識をもってそれを拡大発展させる稀有な存在であろうと認識するに至りました。「今のモダンホラーは全部ゾンビアポカリプスとヴァンパイアラヴに収斂した」なんて抜かす輩を特大の活字で殴り倒す、そんなような一冊です。原題を「STRANGE WEATHER」といって中編小説(ノヴェラ)四本を収めたボリュームのあるものなんだけど、これも多分にスティーブン・キングの「恐怖の四季」を受け継ぐもので*2。
伝統、伝統だなぁ…それは決してキングだけでなく、アメリカの社会、アメリカの文化に根付いた「怖い話」の伝統でしょう。
「スナップショット」はひとの記憶を抜き取る謎のポラロイドカメラを持つ怪人物(ブギーマン)のお話で、これを少年の目で描くというのは実に伝統的である。しかしながらこのお話の主要なテーマはその先に、老人介護問題として立ち上がってくる。その視点は実に今日的なものだと思います。
「雲の島」はスカイダイビング中に雲(のようなもの)に囚われ閉じ込められる恐怖を描いたもので、この「一見すると開放された場の中に封じられて出られない」というのもアメリカの怪奇小説によく見られるものです。小説じゃないけどキングが関わってたホラー映画「クリープショー2」には「殺人いかだ」というのがあったし、ラヴクラフトにも「エリックスの迷路」というのがある*3。ついでに言うとブラックウッドの「柳」までさかのぼれるテーマなので、これはアメリカにとどまらず広く怪奇小説の伝統に則った作品といえるでしょう。登場人物の性格付けや囚われてからの行動は如何にも現代アメリカのナード青年丸出しで、そこはオモロイw
「棘の雨」は巻末解説で東雅夫氏イチオシの作品。災厄に見舞われた世界を歩くロードノベル風味なのだけれど、そこで語られるのは現代のアメリカが抱えている分断、保守とリベラルの対立やLGBTの人々に対するまなざし、今も昔も変わらない破滅思想カルトや、同じくあり続ける古き良きアメリカ社会や、まあとにかくそういったもののごった煮です。タイトルにあるように空から棘が雨のように降ってくる、気候変動が人を襲うというのは先日読んだピーター・ワッツの「巨星」*4にもひとつあって、これは今後流行るのかもしれませんね。気候変動によって起きる災厄を「テロリズム」としか受け止められないのは現代アメリカの病だな…なんて思って読んでいたらホントにテロリズムに収束したのは、それはどうかと、やや(笑)
作者本人があとがきで述べているように2016年のドナルド・トランプ大統領当選の影響を色濃く受けている作品なので、ひとによってはやや鼻白むところがあるかも知れません。しかしリベラルの視点というのも父親譲りではあり。
収録順では2番目なんですが、「こめられた銃弾」が本書でもっともボリュームのある作品で、自分はこれに一番感銘を受けました。やはり現代アメリカの保守とリベラル、人種や宗教観の対立をベースに「アメリカの銃社会」を描いたもので、まるで社会派の主流文学作品のよう。様々な人々の生活の在り様を「銃」をキーワードに描きながら、それがやがてショッピングモールでの銃撃事件でひとつにまとまり、さらにその先に真実を求めて…という、黒人女性の新聞記者といわゆる貧困白人男性(イラク戦争帰還兵)の対決的な視点で描かれる、「現代アメリカの病」をド直球に描く内容。こういった作品も出来るのかいやあ芸風の広い人だな、しかし面白いけどこれ「怪奇小説」なのかしらん?なんて割と不思議に読み進んでいくと…
やられました。
最後の1行、最後の台詞で見事に「怪奇小説」それもアメリカの、極めて伝統的な「怖い話」に落着する。保守もリベラルも関係ない、怪奇小説の主題は読者を如何に怖がらせるかなのだという、まさに直球のホラーでありました。主流小説のように見えたのは、そっちのほうがフリだったという鮮やかなワザマエで、スティーブン・キングもこういうのはやってこなかったんじゃないだろか。おそるべしジョー・ヒル、おそるるべきはその作品。
それで本書には原書刊行時に載っていたイラストがそのまま収録されています。まことに結構なことでハーパーBooksの文庫本は初めて手に取ったんだけど、ここも要注意なところかもしれないなあ。
*1:http://abogard.hatenadiary.jp/entry/20090530/1243693570
*2:日本では分冊で刊行されたけど「スタンド・バイ・ミー」と「ゴールデン・ボーイ」のあれ
「知性」をテーマにした作品を集めた短編集。個別の作品は単独のものだけれど、「ホットショット」「巨星」「島」の3本はいちおう連作である。なお巻末解説はAI関係でよく名前を見る高島雄哉先生です。正直なところを吐露してしまうと半分ぐらいは「???」という感じなんだけれど、「天使」「付随的被害」「帰郷」の3本が良かった。ジョン・カーペンター版の「遊星からの物体X」を語り直した「遊星からの物体Xの回想」はネタ度は高いと思うけれど、なんとも評価しかねる感(笑)
「天使」は無人攻撃機のAIに知性がインストールされる話で、いわば「深井零のいない戦闘妖精雪風」みたいなものです(本当か)。その伝で言えば「付随的被害」はキリコのいないテイタニアみたいな話で、「帰郷」は少年ではいない海底少年マリンみたいな話だ。
ごめんちょっとウソだ(´・ω・`)
AIであったりサイボーグであったりポストヒューマンであったり、人ならざるあるいは人とは少し違う知性と倫理の在り様を、様々な角度から著述してみる。そういうSFですね。ミリタリズムしか引っかからないのは読んでる方の知性に問題があるからだろう…
「天使」に実は既読感があって、調べて見たらS-Fマガジンに載ってた*1んですね。その時とは違う翻訳なんだけど、本書では特に触れて無かったのでいちおう。ハヤカワで初訳されたものが文庫としては創元で刊行されるというのも、なにか事情はあるのかな?本書の他の収録作品はどうなんでしょうね。*2
ところで各作品の前にはそれぞれ解題というか概要が載っていて(編集部による)、まるでネタバレの様でそれはどうかと思うのだけれどガイドラインが無いと取り組み辛い作品傾向も有りで、痛しかゆしと言ったところかなあ。
小市民シリーズ11年ぶりの新刊ということで、久しぶりに懐かしい面々に再会出来ました。「秋期限定栗きんとん事件」の感想は11年前に書いていて*1、しかしこのブログもそんなになるんだなあ。当時は某匿名掲示板のミステリ板(なんて言い方も古臭いですね)に米澤穂信スレが立ってて、「ほむほむ」といえばまだまどマギでは無かった。そんな空気を思い出します。今はどうなってんだろうねー知らんけどね。
「秋」のクライマックスではおっかないさんもとい小佐内さんは狼を通り越して化け物じみた本性を現して、そこにドン引きした人、そこで遠ざかってしまったひとにはむしろおすすめです。刊行こそ11年ぶりですが時系列的には小鳩くんと小佐内さんがまだ一年生の頃のお話、ふたりが順調に互恵関係を構築している時期で、ほんのちょっとネタバレすると今巻のラストでは小佐内さんが死ぬかもしれないという目に遭うので、若干溜飲が下がります。ウソは言っていない。
今回の刊行で小市民シリーズを知った人で、もしも「第1巻から読まねばならないんだろうか」と思った人が居たら、それはやめておいたほうがいいかも知れません。まず本作を読んだうえで「春」「夏」そして「秋」の上下巻と読んでいった方がいいんじゃないだろうか。なにしろ「春期限定いちごタルト事件」*2をいま読むとですね、2004年の刊行当時でさえ古めかしかった「jpeg画像を受信出来ない携帯電話」というのを小鳩くんが使い込んでいるのでひっくり返りそうになる。小佐内さんの新しい携帯も「折り畳み式」だったしなあ。
そういう作外の時間経過が作品にどれだけ影響を与えているかはいろいろあるのだろうけれど、すくなくとも本作では無造作に「スマホ」なんて単語が使われるようなことはなく、その辺は流石だなと思わされます。携帯電話の、特にカメラの性能は飛躍的に向上しているように見受けられるのだが。
ふたりが暮らしているのが名古屋近辺だと明記されたのは今回が初めてかな?東海道線で名古屋に出るとかで「古典部シリーズ」同様に岐阜県なんでしょうか?そんなに美味しいお菓子屋さんが集中するタウンが、果たして岐阜にああるのだろうか???
閑話休題。「日常の謎」とはいえ謎が起こることなぞ既に日常ではない。との意見はさておき、日常に起きる事件の謎を解決していく連作短篇集。タイトルのルールからは外れているように番外編と捉えて良いのでしょう。お話は過去に戻って新キャラクターも登場しますが、あくまで別の学校の女生徒で「本伝」未登場でもあまり瑕疵はないことかと。新聞部はずっとギスギスしているので「秋」の段階で何人かいなくなってても不自然ではない。巧いなあこのへんは。著者の作風は若干変わって、以前もお話の本質は事件解決とは別のところにありましたが、本作では謎を解いても事件の本質からはちょっと身を引くようなスタイル、最近の米澤作品らしいスタンスになっています。それでも「本と鍵の季節」*3の二人ほど自覚的に距離を置いているわけでもない、微妙な立ち位置をキープして且つ揺らぐところが今も昔も変わらない「小市民シリーズ」の魅力なんでしょう。
例によって事件の状況と証拠を提示して読者に対してフェアな姿勢を取る本格ミステリの構造、それでいてそのことが最も強調されている「伯林あげぱんの謎」では事件の状況とか証拠とか関係なしに文芸的なところで犯人がわかる(ようになっている)というのも米澤作品らしさだな。
思うに、これはたぶん「助走」なんでしょうね。長く中断していたシリーズをいま書くに際して「冬期限定」の冠が付かない作品を上梓するのは、次が控えているのだろうと思いたい。そこでようやく小鳩くんと小佐内さんのふたりに救済がもたらされると信じたい。それはきっと千反田えるや、なにより大日向友子を救うことに繋がるんじゃないかと思うからで。瓜野くんは、彼はもはや救いようがあるまい…
ところで98ページ16行目の小鳩くんの台詞「えっ、また?」っていうのはなんかおかしくありませんか?その状況が且つてあったのは「また」ではなく「これから」なので、なんか迂闊ですね。
僕が思うに、これは読者サービスで片がつきます。
そして久しぶりに小市民シリーズを読むとなぜか小佐内さんだけ悠木碧さんの声で再生されるのであった。なぜだ。
南條竹則の新訳による、クトゥルー神話短編集。収録作品はすべてラヴクラフト自らによるもので、クトゥルー物で全集でもアンソロジーでも無く「短編集」というのも珍しいかな?傑作選と銘打つだけあって「異次元の色彩」「ダンウィッチの怪」「クトゥルーの呼び声」「ニャルラトホテプ」「闇にささやくもの」「暗闇の出没者」*1「インスマスの影」と重要な作品が粒ぞろいである。どれもこれまで様々な翻訳者の手で日本語訳が成されてきたものばかりで、既存の物と読み比べるのも良いでしょうが、巻末解説にもあるように初心者・入門者向けのはじめての一冊といったところ。
訳文も読みやすいし、数あるHPL作品のなかからボリューム的・内容的に優れたものを集めているので一冊で概要を掴むには良いでしょう。まちがっても入門者に「クトゥルー神話事典」なんか押し付けてはいけない(戒め)
読みやすい分淡泊というかクドさにかける気がしなくもないし、叢書としての展開ではなくこれ一冊で閉じている点では、「クトゥルー神話」全体を知るためにはむしろ星海社の新訳クトゥルー神話コレクションを勧めたほうが良いのかも知れませんが、ましかし手軽に読める一冊というのはそういう良さがあるもので。
およそ怪奇小説の翻訳を長年手掛けていれば、どれだけ既訳があろうとラヴクラフト作品を自らの手で翻訳してみたいという意欲は生まてくれるのかも知れません。“Yuggoth”を「ユッグゴトフ」と表記するのは久しぶりで、ちょっと懐かしさもあり。
それとあらためて感じ入るのは「インスマスの影」の構成や伏線の張り方の妙で、これを最高傑作の一つとしてタイトルに冠するのは大変納得が行きます。文芸作品としての価値を主軸に置いた作品集なのでしょうね。
*1:これだけは既訳と随分印象の違うタイトルで、一般には「闇の跳梁者」「闇をさまようもの」として知られる