ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

米澤穂信「巴里マカロンの謎」

巴里マカロンの謎 (創元推理文庫)

巴里マカロンの謎 (創元推理文庫)

 

 小市民シリーズ11年ぶりの新刊ということで、久しぶりに懐かしい面々に再会出来ました。「秋期限定栗きんとん事件」の感想は11年前に書いていて*1、しかしこのブログもそんなになるんだなあ。当時は某匿名掲示板のミステリ板(なんて言い方も古臭いですね)に米澤穂信スレが立ってて、「ほむほむ」といえばまだまどマギでは無かった。そんな空気を思い出します。今はどうなってんだろうねー知らんけどね。

「秋」のクライマックスではおっかないさんもとい小佐内さんは狼を通り越して化け物じみた本性を現して、そこにドン引きした人、そこで遠ざかってしまったひとにはむしろおすすめです。刊行こそ11年ぶりですが時系列的には小鳩くんと小佐内さんがまだ一年生の頃のお話、ふたりが順調に互恵関係を構築している時期で、ほんのちょっとネタバレすると今巻のラストでは小佐内さんが死ぬかもしれないという目に遭うので、若干溜飲が下がります。ウソは言っていない。

今回の刊行で小市民シリーズを知った人で、もしも「第1巻から読まねばならないんだろうか」と思った人が居たら、それはやめておいたほうがいいかも知れません。まず本作を読んだうえで「春」「夏」そして「秋」の上下巻と読んでいった方がいいんじゃないだろうか。なにしろ「春期限定いちごタルト事件*2をいま読むとですね、2004年の刊行当時でさえ古めかしかった「jpeg画像を受信出来ない携帯電話」というのを小鳩くんが使い込んでいるのでひっくり返りそうになる。小佐内さんの新しい携帯も「折り畳み式」だったしなあ。

そういう作外の時間経過が作品にどれだけ影響を与えているかはいろいろあるのだろうけれど、すくなくとも本作では無造作に「スマホ」なんて単語が使われるようなことはなく、その辺は流石だなと思わされます。携帯電話の、特にカメラの性能は飛躍的に向上しているように見受けられるのだが。

ふたりが暮らしているのが名古屋近辺だと明記されたのは今回が初めてかな?東海道線で名古屋に出るとかで「古典部シリーズ」同様に岐阜県なんでしょうか?そんなに美味しいお菓子屋さんが集中するタウンが、果たして岐阜にああるのだろうか???

 

閑話休題。「日常の謎」とはいえ謎が起こることなぞ既に日常ではない。との意見はさておき、日常に起きる事件の謎を解決していく連作短篇集。タイトルのルールからは外れているように番外編と捉えて良いのでしょう。お話は過去に戻って新キャラクターも登場しますが、あくまで別の学校の女生徒で「本伝」未登場でもあまり瑕疵はないことかと。新聞部はずっとギスギスしているので「秋」の段階で何人かいなくなってても不自然ではない。巧いなあこのへんは。著者の作風は若干変わって、以前もお話の本質は事件解決とは別のところにありましたが、本作では謎を解いても事件の本質からはちょっと身を引くようなスタイル、最近の米澤作品らしいスタンスになっています。それでも「本と鍵の季節」*3の二人ほど自覚的に距離を置いているわけでもない、微妙な立ち位置をキープして且つ揺らぐところが今も昔も変わらない「小市民シリーズ」の魅力なんでしょう。

例によって事件の状況と証拠を提示して読者に対してフェアな姿勢を取る本格ミステリの構造、それでいてそのことが最も強調されている「伯林あげぱんの謎」では事件の状況とか証拠とか関係なしに文芸的なところで犯人がわかる(ようになっている)というのも米澤作品らしさだな。

思うに、これはたぶん「助走」なんでしょうね。長く中断していたシリーズをいま書くに際して「冬期限定」の冠が付かない作品を上梓するのは、次が控えているのだろうと思いたい。そこでようやく小鳩くんと小佐内さんのふたりに救済がもたらされると信じたい。それはきっと千反田えるや、なにより大日向友子を救うことに繋がるんじゃないかと思うからで。瓜野くんは、彼はもはや救いようがあるまい…

 

ところで98ページ16行目の小鳩くんの台詞「えっ、また?」っていうのはなんかおかしくありませんか?その状況が且つてあったのは「また」ではなく「これから」なので、なんか迂闊ですね。

 

僕が思うに、これは読者サービスで片がつきます。

 

そして久しぶりに小市民シリーズを読むとなぜか小佐内さんだけ悠木碧さんの声で再生されるのであった。なぜだ。