かくして冥王星は降格された―太陽系第9番惑星をめぐる大論争のすべて
- 作者: ニール・ドグラースタイソン,Neil deGrasse Tyson,吉田三知世
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/08
- メディア: 単行本
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さて皆さんは「プルート」と呼ばれるカイパーベルト天体をご存じだろうか。今でこそこの存在は太陽系の辺域で身の丈にあった地位を得ているが、驚く無かれ1930年に発見されてから70年以上ものあいだ太陽系の惑星のひとつだと信じられていたのである!ハッハー!!プラネットが許されるのは海王星までだよねー(プゲラ
ごめんちょっとウソ。2006年に冥王星が「準惑星」だとされたときには結構なショックで、「魔神竜バリオンの立場はどうなるんだ!」と憤慨した憶えがある。そして論議の中心であったアメリカでは、科学的にもまた非科学的にも、幅広い年齢層に渡って、大きな話題となっていましてかくかくしかじか。という一冊。なにしろ冥王星というのは古代から連綿と続く天文学の一角に、ようやく20世紀になって初めて、アメリカ人によって発見された惑星なのでアメリカ人の愛着もひとしお、なのだそうだ。あの甲高い声で人をいらつかせる例のネズミが首輪を付けてスレイブにしている犬が「冥王」とゆー名前なのも1930年代に起きた「冥王星ブーム」の産物だとか。プルートにも人権を!チーズにもお洋服を!!
そもそもこの騒動、ニューヨーク市のヘイデン・プラネタリウムにある太陽系惑星モデルの展示に冥王星が無かったことを(開設から一年も経って)ニューヨークタイムズが嗅ぎつけたことが発端らしいのだが、結果同館の責任者である著者タイソン博士に寄せられた賛否両論の声がかなりの割合を占める。小学生の子どもが稚拙な(しかし真剣な)イラストを付して再考を促す手紙や面白おかしく採り上げるマスコミ、保守的な天文学会、等々。*1そしてそこで提唱されるひとつのビジョンに、なにか目から鱗が落ちるような揺さぶりを受ける。
すなわち「科学は民主主義ではない」と。
大勢が信じるかどうかではなく、正しいのか間違っているのかだと。例え絶対少数意見であってもそれが正しければ、科学的には少数意見を採ると、そういうことか。冥王星を惑星に留めようとする意見の多くは感傷的なものであり、惑星について日々人に教える、つまり教育・教導する立場には就いていない人々からの意見が多いというのはなんだか示唆に富んでいて、最初は憤慨した手紙を寄せてきた小学生たちがその後学校で天文学について学習を深めて、論理的に考えれば冥王星は太陽系の諸惑星とは明らかに違う存在だと理解を深めていくのはある種感動的ですらある。*2
実際の所この「冥王星は惑星ではないのか」騒動は「そもそも惑星とはなんぞや」問題にまで発展し、ガリレオの時代から「ただ、なんとなく」適用されてきた惑星の概念は21世紀の現代になって改めて定義づけられ、結果冥王星は正式に惑星の地位を失った*3しかし、冥王星は決して太陽系外惑星の最果てなどではなく、そこからさらに広っているカイパーベルト天体群の輝ける門扉として、これからも我々の天球を周回し続けるのだ――と、自分は思う。感傷的にw
太陽系の構造、太陽系はどのようにして現在のような状態になるに至ったのか――これらの疑問は純粋に科学的な問いだ。しかし、われわれが物事につける名前は――そうではない。それは宇宙にとって本質的なことというよりもむしろ、われわれが作り出したものを巡っての議論なのである。われわれがだらだら議論を戦わせているあいだ、冥王星や宇宙のその他の全ては、物事を分類したいというわれわれの要求などお構いなしに、今やっていることを、それが何であれ、粛々と続けているのだ。
ニュース「冥王星はもはや惑星ではありません」
冥王星 「だからなにか?」
などとマンガに描かれている間にも「ユゴス星」では非ユークリッド幾何学建造物に潜み棲む菌類生物の…群れが…その異形の翼を…
“I AM PROVIDENCE!”(「俺がルールブックだ」←意訳)