ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

エドモンド・ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」

数年前に河出の奇想コレクションで刊行されたのは知っていたけれど、表題作は既読*1だったので特に手に取ることもなく…だった一冊。たまたまなんとなく図書館で見かけて…

……

バカバカ俺のバカ!こんなに面白い本を読まずにいただなんて!!

と、激しく己を弾劾することしきり。これはいいものだ…。

ハミルトンといえば「キャプテン・フューチャー」「スターウルフ」とスペースオペラのひとだと勝手に思ってたフシがある。たしかに「フェッセンデンの宇宙」は名作、それでもやっぱりハミルトンといえばスぺオペだ!と…

一体俺はこれまでなにを見ていたのだろう?フューチャーメンシリーズの面白さは決して単純素朴なスペースオペラではないところにあるんだと、頭のどこかで分かった風な認識をしていてそれで尚、ハミルトンのスペオペではない作品群ならば、それはつまりハミルトンの面白さだけが凝縮されることとなるのだ…!

メタフィクション、秘境冒険譚、ゴースト・ストーリー、無垢なミュータント、異世界ファンタジーなどこれまで見たことがないハミルトンの一面を、いや多面を、様々に描き出した短編集。SF作家4人が集って他愛無い会話をするショート・ショート「追放者」は全くアプローチは違っていながら読者を不安に陥れるラストは「フェッセンデン―」と同じくする結末で、その対比はすごく技巧的です。そしてどの作品もどこか物悲しく、ほの暗い読後感を残すのはなぜだろう?これまで読んできたスペースオペラでも確かにそういう空気は醸し出されたものだけれど、この一冊は際立っている。

火星探検隊の決死行から帰還した男が死んだ同僚の家族を訪ねて回る「向こうはどんなところだい?」がたまらなく好きだ。ご子息は勇敢に振る舞い安らかに死を云々、しかし真実は決して語られることは無く胸の内に仕舞い込まれて

ベッドにはいりかけていたとき、ドアがノックされた。ブレック父親だった。彼はなかへはいってくると、ぼくをひたと見すえた。
「あれはただのつくり話なんだろう?」
ぼくは答えた。
「ええ、ただの作り話です」

なにもかも終えて故郷に帰れば「英雄の帰還」パレードでそこにも居場所は無くてでまるで「硫黄島の星条旗」みたいなやり場のない悲しさと語ることのできない辛さを、そういう作品をハミルトンが書いていたとはああおれ無知蒙昧にもほどがあるな。

嘘しかいえないのはフィクションの特権ですね。

ラストがまたよいのでそこを引用しようかと思ったけれど、それはもったいない気がするのでやめておくんだぜフフフ。

*1:実は、本当に読んでいるのかどうか確信がない。あんまりにも有名な話なので読んだ気になっているだけかも知れない。梶尾真治のオマージュ作品は読んでる。