ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

「キックアス」を見て来ました。

公式

すげぇ面白い。疑いもなく今年見た映画の中では最高で興味無いってひとはケツを蹴っ飛ばされるべき。

以下明日読み返したら絶対にイタタすぎる感想なので隠す隠す
























想像力と可能性はひとが内包する獣だと思う。そういうものがあればこそ、ひとはノロマな進化の流れに身を委ねることなく、進んで現状を変化させていったと思うからだ。山野を切り開き海川を埋め立ていまや油田地帯に原子力発電所まで建設して not to be で在ることは Human being の本質である。

キックアスを見ながら考えてたのはそんなことだ。いちばん最初にたしかテレビ東京のショウビズ・カウントダウンでその存在を知った時は「ダークナイト」の正統派フォロワーだと受け止めた。公開が決まり情報が広がり始めてどこもかしこもヒットガール推しになってた時期には以前「殺しのグレイテスト・ヒッツ」読んだとき*1に感じた不満が解消され、ようやくアメリカの お ま い ら 始 ま っ た な とか思ってた。いざ見てみるとそんな気持ちはいろいろぶっ飛んで、まんまFPSゲームな画面がスクリーンに展開されたときに寒気が走った。この映画は、そういうものでは、ない。

映画「キックアス」では何らかの明確な道徳規準が謳われているわけではないし何らかの見解が広められているわけでもない。決してヒーローや「ヒーロー像」の映画ではない。ただ、何らかの信念は固く踏み締められていてそれはきっと個人が行動することそれ自体なんだと、そんなふうに考える。

人類が他の動物と一線を画しているのは衣服をまとう行為だ。だから自作のヒーローコスチュームでロール・プレイするデイヴ君とその他一同の活動は実に人間性に根ざしていて且つそれをケータイで写メするその他大勢とは一線を画している。僕等が位置しているのは暖かいドラッグストアのただなかであって「お前らのためにやってるんだ!」って台詞には心底泣けてくる。

つまりぼくらはこちらの側なんだ。http://togetter.com/li/78389 渋谷タワレコに来た時はもうちょっとで遭遇出来たんだけれど…

コミックやゲーム以外にもアメリカ人の大好きなものは随分と投影されていて、チンピラの一人がバズーカ構えて「スカーフェイスの名セリフだ!」って叫ぶシーンにはどっちも同じじゃないかと大爆笑。もっとも件のチンピラも映画「スカーフェイス」でアル・パチーノがぶっ放してたのも厳密に言えば「バズーカ」ではないのだけれどもいいんです、バズーカは男のロマンなんです。

ビッグダディを失い単身ダミコのアジトに乗り込んで行くヒットガール=ミンディがカート引きずってる様子はBGMと相まってマカロニ・ウエスタンで棺桶引きずるジュリアーノ・ジェンマ的な何かか。扮装を隠してツインテールにブラウスネクタイ・ミニスカート着用でバシバシ鉄砲撃ちまくるのそのカッコウは ど う 見 て も ト リ エ ラ で す 。本当に本当に本当にありがとうございましたやっぱりおれたちが生きてきた過去はあなたがたの未来でした。

そんでもってマフィアの親分フランク・ダミコがどうみてもプーチン首相でカラテの達人なのは絶対、ワザとやってるだろ。ヒットガールとダミコがマジで生命のシノギを削ってる隣の部屋でレッド・ミストとひのきの棒でぺちぺち殴りあってるキックアスの、そのカッコ悪さは確かに格好悪い。それは例えばバルカン砲付きジェットパックを背負ってょぅι゙ょをお姫様だっこで朝日の昇る大空を飛ぶキックアス@大量虐殺してきたなう。のどこからツッコんだらいいのか全然わからNEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!

な、かっこよさである。この映画は断じてヒットガール映画ではない。キックアス映画なのである。

マンガのヒーローがもし実在したらどうなるだろう?って映画を見てたその時に「サザエさん」では(どうも実写ドラマと連動したキャンペーンらしいのだが)長谷川町子サザエさんをつくるまで、をアニメでやっていたらしい。なんかすごい。ぼくらは非実在に中毒しながら実在に拘泥しているというわけで15歳上の広く万人にお勧めする。ただし石原慎太郎猪瀬直樹を除く。

既存の作品でこれと似たものを探すならブラッド・ピットの「ファイト・クラブ」であろう。これもいろいろ、個人的なトラウマを残した映画だったが…