ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

高島雄哉「エンタングル:ガール 舞浜南高校映画研究部」WEB連載版

www.yatate.net

単行本の前にもう一度見直してみようと再読。やはり一気に読むと違いますね。著者高島雄哉は劇場版「ゼーガペインADP」ではSF考証を担当していて、本作品はスピンオフという位置付けではありながら、ADPの先に「NEXT ENTANGLE」を著わしたものです。

 

スピン

 

なるほどスピンか。

 

ADPの感想はこちら http://abogard.hatenadiary.jp/entry/2016/10/15/202734 にあって、やはり通じるものというか同じような感覚を得ました。ADPではTVシリーズの時よりもっと掘り下げて「セレブラントに覚醒していない幻体であっても、ループごとの行動や感情は決して同じことの繰り返しではない」というのを見せてくれたのだけれど、更にそこから「小説版オリジナルキャラ」を使ってTVや映画のフレームの外にも、もっと多くの人々が居ることを知らしめてくれます。小説オリジナルキャラというのはゼーガぺインの既存小説作品「忘却の女王」「忘却の扉」 「喪失の扉」でも使用されるギミックですが、本作ではゼーガペインの本質的なテーマでもある「ループする舞浜」により一層のプラスアルファを付与する存在として機能しています。

そして「エンタングル:ガール」で描かれるカミナギ・リョーコの学園生活というのはTVシリーズやADPの描写とは少し異なるものなのだけれど、ADPを見て来た身として、ADPの先に有るものとして、違っているのはむしろ当然のことなのだろうなーと、そういう感覚を得ました。うんうん、それもまたエンタングルだね。

しかしループにプラスアルファすると「ルーパ」になるって今日まで気がつかなかったんだからこの3年間ナニ見てたんだよ俺って感じではある。リセットの先で待っているキャラクター、なのだろうなあ…

 

カミナギ視点で描かれる学園生活の瑞々しさというのは「エンタングル:ガール」の大きな特徴で、「みず」と言えばこれはもうゼーガだ。ゼーガしかない。第1話冒頭で「演劇部の彼女はカメラが苦手なのだ。」と解説されるミズキのみずみずしさは、ADPの先を生きるひとりの幻体の在り様として、とてもとても良い。舞台演劇というのは何度再演されてもその時々の一瞬は常に違ったアドリブで、その違いというのは記録媒体には通常は残されないものだから。

夏に始まった物語が中盤で春先へとループするのはゼーガペイン本編と同じ構造で、そこから物語は急に加速されていく。そしてこれまでに無かったことだけれど「エンタングル:ガール」の幻体キャラは戦闘による損傷だけでなく、覚醒前の人格でさえ、リセットの揺らぎのなかで時には消失してしまう。本作の舞浜(サーバー)はアニメの舞浜よりも一層過酷です。初読時にはそこまで気が回らなかったんだけど「青の騎士ベルゼルガ物語」を書いたはままさのりが「文字で痛みを感じさせるには映像の倍はやらねばならない」旨の発言*1をしていたのを思い出したりです。思えば青騎士も良いスピンオフでした。ゼーガには全体、80年代の雰囲気が色濃いなと感じますねやはりね。

カミナギ視点で物語を紡ぐとソゴル・キョウがセレブラントに覚醒しているかどうかは実際に観測するまでわからない。うんうん、それもまたエンタングルだね(←気に入った)

 

カノウ・トオル先輩の在り方、新キャラクター各人の在り方は、加筆増頁化されようやく刊行された単行本版を読み比べて考えてゆきたいと思います。カノウパイセンはいい人だなあ……

 

 

エンタングル:ガール (創元日本SF叢書)

エンタングル:ガール (創元日本SF叢書)

 

 あれ、amazonのリンクはkindle版しか貼れないのかな?

*1:ホビージャパン別冊「青の騎士ベルゼルガ物語」掲載の高橋良輔監督との対談。なお引用は正確ではない