人生とは不条理なもので、不条理なものに囚われる人間というのはしばしば文学が止揚するテーマでもある。有名なところでは安部公房の「砂の女」があるけれど、本書「タタール人の砂漠」も人が不条理な場に囚われる物語であります。砂漠に面した国境の砦で永遠に来ない敵の訪れを待ち続けるまま無意味に年月を重ねていくドローゴ中尉の人生、この手の話では必ず(?)そこから逃げだせる機会をあえて選ばないという機微があるけれど、本書も同様ではある。「砂の女」はそこで話が終わったけれどもこちらはさらにその先があり、ついに敵の訪れと戦いがまさに始まらんとするそのときに、ドローゴは老いと病で砦を追われることとなる。そういう不条理、無意味さの先に待ち受ける死、タナトスとの対面を描いたもの。
これ若い頃に読まなくてよかったなあ。就職氷河期のボンクラ学生が見たら死ぬぜ(´・ω・`)
齢とってから読んでみると、まあ世の中だいたいそんなもんですからねと(´・ω・`)
ところで巻末解説はブッツァーティの来歴を主に説いているけれど、児童ものへの言及がないのはなんでなんだぜ。