ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」

ザリガニの鳴くところ

ザリガニの鳴くところ

 

 

ミステリ…なのかなあ。アメリカ、ノースカロライナ州の湿地帯で不審死を遂げた遺体が発見される1969年の事件が捜査され容疑者が逮捕されるパートは確かに推理小説(風)ではあるのだけれど、そこに交差されるのは1952年から語り始められる、家族に捨てられひとり孤独に生きて行かざるを得ない "湿地の少女" ことカイアの物語で、こっちの方がメイン。沼地に小屋を建てて暮らす「貧乏白人(ホワイト・トラッシュ)」一家の末娘として育ち、父親の虐待により崩壊した家族は次々に家庭から脱出し、やがてカイアは父と二人きりで暮らすこととなる。成長するにつれて起こる様々な出会いと、父親も失踪し遂に訪れたほんとうの孤独と、美しい湿地帯の自然に囲まれて、時には人を愛し、時には人に裏切られ生きていくカイア。そういうお話。

2つのパートはそれぞれ短い章立てでさかんにフラッシュバック/カットインされて緊張感を高める構成で、捜査が進めば当然のようにカイアは容疑者として逮捕され、過去と現在は一体となって法廷の場へと繋がっていく。そこでもやっぱり短いカットが緊張感を増していく訳なんですが、実際行われている裁判はあやふやな目撃証言と不確かな証拠提示だけのgdgdな内容ではあるのでw 普通のペースでだらだら書いちゃうとクライマックスでもなんでもない。それで結局カイアはどうなるのか、事件の真相は…

 

ネタバレもあるしそこは書かないけれど、事件の真相そのものには、やっぱり大した意味があるとは思えません。むしろ虐待とか貧困、格差という現代でもストレートに通じるテーマを、しかし現代を舞台としないことによってワンクッション置いているのだろうなーと、そんな気はします。むしろ現代でやると生々し過ぎたり、却って反発を買うようなこともあるかとは思う。(貧しくても心清らかな人々を現代に出すのは余りに噓くさいとか、そういう懸念もあるかもだ)

 

読みやすくて面白かったけれど、こういうお話でもなかなか黒人は主役になれないのだなあとも考えさせられた。