「インスマスの影」*1に続く南條竹則編訳によるラヴクラフト作品集第2巻。表題作の他「時間からの影」の長編2本と「ランドルフ・カーターの陳述」「ピックマンのモデル」「エーリッヒ・ツァンの音楽」「猟犬」「ダゴン」「祝祭」の短編6本による構成。巻末解説ではこれらの収録作品を”クトゥルー神話の初期段階” ”集成期の傑作” ”あとから神話に組み入れられたもの” の3つに分類しているけれど、読んでいて感じたのは必ずしもクトゥルー神話というラベルでくるむ物でもないよなとか、そういうことかな。
「狂気の山脈にて」で、いかに此処が狂気の山脈であると説いてもそこに生息していた古えのものたちは狂ってなどいないし、太古の彼方から地球の諸文明に手を(いやさ触手を)伸ばしてくるイスの大いなる種族も邪悪な存在ではない。どっちかというとこれらはコミュニケーションギャップあるいはディスコミニュケーションの話ではないだろうかと、そんなふうに感じるのは自分がいまの人間だからであって、執筆当時の社会や人々あるいは当の本人にとっては、もっと大きな衝撃力を以って受け止められるものなのでしょうね。
しかし「ランドルフ・カーターの陳述」とか「猟犬」は少女マンガでもイケそう。むしろBL風味でですね。などと感じるのも自分がいまの人間だから(ry
もはや古典であるラヴクラフトの作品をいまの時代に新訳というのは意欲的な行為だけれど、既にミームと化している表現を書き換えるというのはまあ、難儀なことだなぁと「ダゴン」のラストを見ながら。
ああ「クトゥルーのはららご」という表現は久しぶりに目にしました。懐かしい古えの記憶だ…