ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ナターリヤ・ソコローワ「旅に出るときほほえみを」

ちょっと前に読んで、そのときは感想上げなかったものを再読。

変な話だ。なにしろ昔はサンリオSF文庫で出ていたぐらいだ(さらに前には「怪獣17P」なるタイトルで大光社から出ていたそうです)。ソビエト時代のロシアで1965年に刊行された作品であー、ブレジネフ時代が始まった頃なのね。まあそういう時期の作品です。何が変って主人公の名前が《人間》で、固有性が全く無い。何故そうなったかは最後まで読めばわかるようになっているけどこれ「名前を奪われた人」の話なのね。ただ、その他の登場人物も《見習工》《作家》、総裁、国家総統などと役職だけで呼ばれるので、みんな変だから変さがあまり際立たない。唯一女性キャラのルサールカだけには名前があるけれど、これもどっちかというと「妖精」みたいな意味合いなんだろうなあ。なお役職を《》でくくられているキャラとそうでない者とに重大な差異がありそうなんだけれど、特に本文中で触れられる訳ではない。

で、怪獣が出てくる。これも変だ。怪獣と言っても地下掘削用の機械であって、十七番目の試作ということで17Pという名前が付いているけれど、ほぼほぼ怪獣と呼ばれる(なおこの怪獣を作った《人間》は、その働きから怪獣製作者と呼ばれることもある。それもまた奪われてしまう肩書なのだけれど)。この怪獣は単純な機械ではなく意志を持ったロボットで、生体部品(体内を循環する液体)を維持するためにかエネルギー源は何と生肉である。変でしょう?

それで実験初期に起きた事故で、地中深くでエネルギー切れの危機に見舞われた怪獣を救うべく、《人間》は自らの腕を切り落とすのだった。泣ける話だ。朴訥で義に熱い怪獣のキャラクター性は、本作いちばんの癒し。

話の筋は《人間》と怪獣を主軸に据えながらも、不当な手段で権力を握った独裁者の専横と、それに対する《人間》の反駁と敗北、追放という流れになる。「この話は、いささかおとぎばなしめいてはいる」と本文に明確に記述されているけれど、よくもまあソ連時代に権力批判の話を出せたもんだなと、それは驚きました。あくまでヨーロッパの西にある国を舞台にし、《人間》は大陸の東側へ追放されて行くのだけれど、高度に抽象化された寓話は政治思想の左右を問わないので、オーウェルの「動物農場」が決して共産党批判だけの文脈では済まないように、本作もまた資本主義国家批判には止まらないものでしょう。

怪獣の軍事利用と国家総統の横暴さに反対した《人間》は、その名前も肩書も剥奪され祖国を追放されてしまうのだけれど、あとに残した《見習工》とルサールカのカップルそして怪獣の三者、つまり若い世代と科学技術に希望を託すような、決して悲劇性だけでは終わらないところがなんか良いなあと思ったのです。

 

だからちょっと、そういう話が書きたくなったのよ。