ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

伊藤典夫訳・高橋良平編「伊藤典夫翻訳SF傑作選 最初の接触」

伊藤典夫翻訳SF傑作選ということで「ボロコーブはミムジイ」*1と対になる、こちらは「宇宙編」となるもの。収録されている作家はマレイ・ラインスタージョン・ウインダム、デーモン・ナイトなど「昔はよく聞いたけど、昔から『昔の作家』だったひとたち」のような印象を受ける。「御三家」であるとか「ニューウェーブ」だとか、そういうブランドにならなかった人たち……なんていったら怒られるかなあ。1960年代のSFマガジンに掲載されたものだから仕方ないけど、作品自体もどうにも古さは隠しきれないものがほとんどで、これが「スペースオペラ」みたいなジャンルでひとまとめに出来たらまた違うのでしょうが、どれも真面目に(別にスペオペが不真面目だと言ってるわけではないが)SFしていて、真面目に地味だ。ファーストコンタクトや宇宙漂流、超空間航行による認識の変貌など、今後もSFのテーマとしては十分取り上げられるものだけれど、例えロケットが垂直発射の円筒形に回帰しても、こういう内容の作品が書かれることは無いだろうな。

2編だけちょっと感想を留めておきたいものがあって、ひとつはジェイムズ・ホワイトの「宇宙病院」。これは異星人の医師とコンビを組んだ主人公が「異星の恐竜」を治療する話で、プラスチックを食うマリモみたいな奇妙な相棒の生態など全編コメディタッチで描かれていて、楽しさやギャグというのは真面目で保守的であることよりも時代を超えて行けそうな気がする。そして治療される恐竜なんだけど、これがまた「ブロントサウルス」のようだと描写されておまけに「沼地に棲息している」のです。本作執筆当時の「恐竜観」が記録されていて大変興味深い。旧版の「のび太の恐竜」みたいだ*2

もうひとつはポール・アンダースンの「救いの手」で、これは当時の日本人に受けただろうなと思うし、なんならいまでもイケると思う。だいたいこんな話。

 

2つの惑星クンダロアとスコンタールの間の戦乱はソル連邦が仲介して和平が結ばれる。双方の星への経済援助を決定する三者会議では、穏やかで礼儀正しいクンダロアの大使は好感を得、一方で礼節に欠けた言動のスコンタールの大使は非常に反感を受ける。ソル連邦はクンダロアへの大規模な支援を決定し、スコンタールの大使は母星に戻って叱責され不名誉な解任をされるが、いまソル連邦から経済支援を受けないことが将来的には母星を救うと予言して去る。50年後、支援を受けていたクンダロアはすっかりソル連邦の経済に飲み込まれ、伝統的な文化も哲学も失われてソル連邦のツアー客に文物を買い叩かれるような地位に落ちている。いっぽうで支援を受けなかったスコンタールは戦後の荒廃や飢餓を乗り越え独自の文化・技術を大成し、一部ではソル連邦の上を行くような発展を成し遂げる。かつて解任された大使はめでたく復権する。ちょっとスタトレのヴァルカンとクリンゴンを思わせる、2つの種族がたどった別々の道の顛末。

 

あきらかに第二次大戦終了後のアメリカによるヨーロッパ(及びアジア)の復興が揶揄されていて、ソル連邦のがさつな下吏や大衆の描写はアメリカ人のそれだ。一方はアメリカ的な俗物嗜好に飲まれて他方は孤高を維持し続ける。いかにも当時の(そして今もだろう)日本人読者を様々に刺激しそうな話ではある。しかし現実の文化侵略やコンフリクトはここで描かれるほど穏和なものでは無いだろうし、グローバリズムに反してオリジンを保つという姿勢も、それほどクールでもなく暴力的な側面だってあるだろう。そして今も昔も我々はとっくの昔にクンダロアでもスコンタールでもなくて、ソル連邦の席に座っているのだろうなーと、そんなことを思った。

*1:https://abogard.hatenadiary.jp/entry/2018/11/11/152636

*2:ご存知の通りフタバスズキリュウは恐竜ではない。仕方がなかったんだよ大作君。