ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ザミャーチン「われら」

オーウェルの「一九八四年」に強く影響した作品だという話をアフターシックスジャンクションのロシア・ウクライナ文学回(まー池澤春菜ゲスト回だ)で聴き、読んでみる。

めっちゃ読み辛い話ではあった(笑)。

 

いまから約1000年後、地球全土を支配下に収めた〈単一国〉では、食事から性行為まで、各人の行動はすべて〈時間タブレット〉により合理的に管理されている。その国家的偉業となる宇宙船〈インテグラル〉の建築技師Д-503は、古代の風習に傾倒する女I-330に執拗に誘惑され……。

 

カバーあらすじより。管理社会の一市民がファムファタール的女性に篭絡されて身を持ち崩していくというプロットは確かに「一九八四年」的で、結局主人公Д-503が独裁者「恩人」に代表される権力に屈服してしまうというラストも同様。本作ではヒロインのI-330はД-503の目の前で処刑されるが、ひとから想像力を剥奪する〈手術〉を受けたД-503はそのことを苦にしない。アルファベットと数字の組み合わせで名づけられた人々のディストピア的生活を綴るものだけれど、語り手Д-503の一人称による手記スタイルで書かれた文章は千々に乱れ、I-330のほかO-90とЮという3人の女性(3人目は番号が記されない)に翻弄される…流れなんだけれど、正直作品そのものより解説とあとがきのほうが面白かった。

著者ザミャーチンロシア革命のいわば第一世代に属する作家で、本作が執筆されたのは1920~21年のまだスターリンブイブイ言わしめだす前の時期なのに、そんなころからもうこのようなディストピア小説を書いていた先見性には驚かされます。オーウェルどころかハクスリーより前だ。そんな時代の作品なのに人々が皆〈時間タブレット〉を携帯しその指示に従って行動する社会というのは、まるで100年後の今を見ているようで興味深い。内容が内容だけにロシア国内よりも海外で翻訳出版される方が先行していて、日本でも1970年代から何度か邦訳が出ているそうなんだけど、今回読んだ光文社古典新訳文庫は2019年の刊行です。

なので、巻末の訳者あとがきでは現代社会の諸事情としてトランプ政権の「壁」建設やヨーロッパ(西欧)諸国の難民問題こそ挙げられもするけれど、ロシアについては、ロシアの人気作家ドミトリー・ブイコフの言として

現代の反ユートピアザミャーチンが思い描いていたものとはまったく異なるものとなったと書いているそれはインターネットによる全体主義とでもいうべきものであり、そこで君臨しているのは「恩人」でも「ビッグブラザー」でもなく、「グーグル」という巨大企業なのだ。したがってもはや『われら』には警告としての意味はない。

 

あるいは現代ロシア文学に描かれる反ユートピア前近代的性格として

 

ポストモダンの作家ウラジーミル・ソローキンは小説『親衛隊士の日』(二〇〇六)で近未来のロシアを描いたが、そこではなんと封建主義的な帝政が復活している。

 

などと記されているけれど、プーチン戦争のいま、2022年にこのあとがきをよむと成程「ロシアの人気作家」がグーグルを非難し本書の価値を認めない訳だなあとか、封建主義的な帝政が復活することは極めて現実的な問題意識だったんだなと、逆説的な意味で示唆に富んでいる。現代ロシアに対する評価はそれだけ変転していて、ロシア文学という物に向けられる目もいまいちど問い質されるべきなのかも知れない。そのあたりが面白かった。