ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

原為一「帝国海軍の最後」

 

帝国海軍の最後 (KAWADEルネサンス)

帝国海軍の最後 (KAWADEルネサンス)

 

 

タイトルはいささか仰々しいかなとも思うのだけれど、軽巡洋艦「矢矧」艦長の回想録と知って手に取る。矢矧については以前これを読んでいて

 

abogard.hatenadiary.jp

 

華々しく語られ象徴と化している大和に比べてその実相はどんなものだったのか、ほとんど何も知らなかったのでこういう本は有難いものです。本書の原著は1955年初版刊行というから昔から底本だったのでしょうね。自分が知らなかっただけ…ではあるのだが。内容については矢矧艦長としてだけでなく、太平洋戦争の開戦から終戦までの任務と戦場の実際を回顧していくものです。駆逐艦天津風艦長、時雨に座上しての第二七駆逐隊司令など矢矧よりは駆逐艦の話が主で、海外(アメリカ)では「Japanese Destroyer Captain」のタイトルで翻訳出版されている由。内容については細かくは触れませんが、やはり菊水作戦直前の第二水雷戦隊の憤懣やるかたなき有り様は、これはもっと広く知られて良いのではないでしょうか。大和のそれは伊藤整一中将の言動として「象徴」化されているのに対して、どもうね(その個所の記述では「軍艦矢矧海戦記」の池田武邦中尉も登場している)。

 

日本海軍の駆逐艦がもっとも奮闘しもっとも多くが失われたソロモン諸島攻防の時期には時雨に乗艦しているのだけれど、「呉の雪風佐世保の時雨」と称賛された時雨の実態というのが見受けられて興味深いところではあります。ラバウルで日頃空襲に備えて緊張感を保ち素早い行動を旨とし、あるとき真っ先に湾外に離脱し対空戦闘を始めようとしたら既に一隻出航していた艦があって、実はそれが前日夜から港湾に入らず待機していた雪風だったというところにはなるほどなあという感じである。幸運というのは天から降ってくるようなものではなくて、人事を尽くした先にようやく掴めるものかも知れません。

 

ともあれ、終戦まで存命されて貴重な記録を残し得たことに深く感謝するものであり、こうして平穏な週末にそれを読めるのは実に幸運なことであります。

 

原尞「それまでの明日」

 

それまでの明日

それまでの明日

 

 

原尞、14年ぶりの新刊。このブログも初めて結構経つけれど、14年前に「愚か者死すべし」が出たときにはまだ開設してなかったんだよね。なので原尞の作品の感想を残すのは初めてか。

 

 ※数年前に「そして夜は甦る」再読してました。感想というかこれは感慨を書いているのだが

   http://abogard.hatenadiary.jp/entry/20130122/p1

 

「原尞は14年間何をしていたのか」は本書刊行に際して行われたトークイベント(?)で真っ先に問われたことらしいのだけれど、読み終えればはっきりわかる。原尞は14年間をかけてこの作品を書いていたのだ。それだけの内容にまずは感嘆。原尞は勤勉な(そして誠実な)作家なのでしょう。怠惰な作家ならば1つの作品に14年もかけないだろうし、不誠実な作家だったらここまで面白いものには仕上げないだろう。

ストーリーの細かなところまでは触れないようにおきましょう。「そして夜は甦る」が刊行された1988年以来の積み重ねが、本文にも各キャラクターにも深みと、そして磨きを与えています。さすがに自分が「そして夜は甦る」を読んだのは初版刊行当時ではないのだけれど、それでも四半世紀近くはこの作家と沢崎や錦織をはじめとした登場人物たちに付き合ってきたわけで。

ファンならもちろん言うまでもなく必読だけれど、むしろ原尞も沢崎シリーズも知らない人に、是非読んで欲しいものです。シリーズ既刊はいま新装版で出ているそうなんだけど、第1作目から読まなければいけないということは全然ないので、むしろここから入ればいいのじゃないだろうか。この最新刊が面白ければそこからあらためて彼らの過去を辿って行けばいい。ひとの人生を知るとは(例え架空の作品の架空の人物であったとしても)、つまりそういうことなのです。

 

 

以下本作とは直接関係がないのですが雑感。

 

「ハードボイルド小説とはなにか」について明確な答えを得ることは難しいかも知れません。しかし「ハードボイルド小説を書くにはどうすればよいか」については、原尞の作品を、特に「ミステリオーソ」「ハードボイルド」の2つのエッセイ集を読めばなんとなくつかめるように思うのです。

 

ミステリオーソ (ハヤカワ文庫JA)

ミステリオーソ (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

ハードボイルド (ハヤカワ文庫JA)

ハードボイルド (ハヤカワ文庫JA)

 

 

ハードボイルド小説を書くというのは、なにも奇をてらうことではなくて、あなたが普段考える事、感じる事をそのまま書けばいい。それで十分ハードボイルド小説足り得ます。ですがしかし「普段考える事、感じる事をそのまま書く」というのは、これは試しにやってみればわかるのですが、非常に困難なことでしょう。なんすればひとの思考や思潮というのはそもそも言葉ではありませんし、言葉にすれば抜け落ちることはいくつもあります。ましてや、出来上がった文章がどれほどハードなものであったとしても、それが「面白い内容」を持っているかは別の次元の問題です。普段考える事、感じる事をそのまま、且つ面白い内容として書く。面白いハードボイルド小説を書くとはそういうことです。

 

「面白いハードボイルド小説を書く」というのは大変な難題で、勤勉で誠実なハードボイルド作家が、勤勉で誠実な態度で執筆に向かえば、ひとつの作品を世に出すための14年というのはそれほど長いものではないのかも知れません。もちろん、もっと短い執筆期間で素晴らしい内容の作品を著わす作家もいるでしょう。

ただ残念ながら自分の読書量は限られていて、この分野で原尞を超える作家というものを他に知りません。

それで困ることも特にないので、今後も原尞は個人的ハードボイルド作家No.1の地位にあり続けるでしょう。

 

しかし考えてみればこの本が「3月」に出たのも、内容に合わせたハヤカワの仕掛けなんだよなあ…

 

 

A・E・ヴァン・ヴォ―クト「モンスターブック」

 

 以前読んだ「恐怖通信」(http://abogard.hatenadiary.jp/entry/20141220/p1)と対になる、中田耕治編集・若手女性翻訳陣による今回は短編集。モンスターブックというのはずいぶんシンプル(?)なタイトルだけど、「宇宙船ビーグル号の冒険」に代表されるような「モンスターSF」がテーマになっています。ビーグル号ものもひとつ「神経戦」(鳥人間リームのエピソード)収録されていて、やっぱりヴォ―クトの代表作といえばビーグル号ということになるのかな。かつてはハヤカワや創元でずいぶん長編も出てたけど、いまじゃほとんど絶版、たまに復刊されたりはするけれど、作家活動後年の思弁的な作品より初期の怪物SFのほうがずっと有名なのは、それはどうなんだろうと思わなくもないが、考えてみたら自分もビーグル号以外は「イシャ―の武器店」をかなり昔に読んだぐらいしかないのよね。

で、まあいろんなタイプの「モンスター」が出てくるんですが全般的に訳がぎこちないのと、「モンスターSF」という大枠ではどれも共通する作品が集められているからか、正直「恐怖通信」とくらべてもイマイチの感が無きにしも非ず。とはいえ「永遠の村」の意外なモンスター像は、かなり驚かされました。うん、これがピカイチですね。

アーシュラ・K・ル・グィン「所有せざる人々」

 

所有せざる人々 (ハヤカワ文庫SF)

所有せざる人々 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

先日の訃報をうけて、あらためて代表作を読んでみる。10代の頃一度読んでいて、実はそのときまったく歯が立たなかった。一応読み終えはしたけれど、なにがなんだか全然判らなかったのだ。あれからずいぶん経っての再読で、本書の内容を能く理解出来たとはやはり思えないのだけれど、たぶんこれは自由と平等、公平についての物語なのだろう。主人公シェヴェックの惑星ウラスに於ける「現在」と惑星アナレスでの「過去」が章ごとに交互に綴られていく構成は、物理学者シェヴェックの唱える宇宙理論<同時性理論>を体現していて…と、それぐらいまでは解かる、ようにはなった。

ある種の共産主義的なユートピアとして入植されたアナレスの、しかし現実は理想的でもなんでもないところ。対して資本主義的(むしろ通俗的と言ったほうが良いのか)なウラスの、不自由で不公正な現実。そのどちらにも敗北あるいは「挫折」する物語のようでいて、実は理想は(極めてデウスエクスマキナ的な存在の援助によって)達成される結末…なのかな。

思うに自分が「共有」に拠って立っているアナレスの「オドー主義者」の社会を、そもそもあまり良いものと感じられないから齟齬が起きているのかも知れない。それは少し悲しい。

次に機会があれば短編集に手を出してみるかな。「オメラスから歩み去る人々」は好きなんです。

大森望 日下三蔵 編「年刊日本SF傑作選 行き先は特異点」

 

 

もう10年になるのですか、長く続きますね。などと言いたいところだけれどこのシリーズ読み始めたのは刊行開始後数年してからのことなので、あまり偉そうなことは言えない(笑)。とはいえ10冊読んでるとさすがに大体の傾向は固まってくるものなのか、当初読んだころに得たような感覚はやっぱり薄まって「慣れ」て行くのかな、とも思う。もちろん今回初収録の作家作品もあるのだけれど、全体的な傾向として。

それで今回初収録の牧野修「電波の武者」が面白かったのは、自分がこのシリーズになにを求めているのかをちょっと考えさせられた訳です。牧野作品読むのも久しぶりで、はじめて「MOUSE」を読んだ時のような気持ちをなんとなく思い出したりなのだけれど。

谷甲州「スティクニー備蓄基地」はおなじみ航空宇宙軍史シリーズで、航空宇宙軍のフォボス基地が外惑星連合軍の「生物兵器」に襲撃されるエピソードなんだけれどこれがまたエラく地味だ。いつものことだ。〇〇を兵器化する話はセイバーヘイゲンのバーサーカーシリーズにもありましたが、まあ絵面は地味で、しかし何故だか本当に不思議なんだけれど横山えいじの絵柄で脳内再生されて困る。衛星内部の地下基地がアレに覆われるって一歩踏み間違えれば容易にシュールなギャグに出来そうです。ドローンはススムくんで。

 

この2本がこんな観点で良かったなどというのは自分もとんだ老害ですが、今回一番良かったのは第8回創元SF短編賞受賞作、久永実木彦「七十四秒の旋律と孤独」でした、kindleなら単著でも読めるのかな?

 

 

題材としては古典的と言うか「枯れた技術の蓄積」のようなところが堅実な宇宙SFなんでしょうね。宇宙船に〇〇と少女は必須!とか言ってみる(笑)

 

巻末の選評と2017年SF界の概況は読みごたえのあるもので、やっぱり一番大事なのはこの部分かも知れません。「自分の書いた小説が面白く読めないかも知れないという危機感の弱さ」(長谷敏司による)が、なんかいろいろ重いなあ。

森薫「乙嫁語り」10巻

 

乙嫁語り 10巻 (ハルタコミックス)

乙嫁語り 10巻 (ハルタコミックス)

 

 

真冬の話だけれど、いつもどおりにアツアツです(笑)前半はカルルクさん冬山でお義兄さんたちに混じってハンター修行、後半はスミスくんやっとアンカラに到着のくだり。いつも通りに素晴らしい画、コマ割り、そして台詞回し。安心して読み進められる内容だけれど、この先どこに向かって、どういうところに落ち着くのでしょうね。

 

しかし鷲を使った狩猟でも「鷹狩り」というのだなあ。ちょっと虚を突かれたというか、うん、勉強になりました。

瀬名秀明 編著「ロボット・オペラ」

 

ロボット・オペラ

ロボット・オペラ

 

 

もともとゼラズニイの「フロストとベータ」が読みたかったのだけれど、確かにこれは大著ですね。タイトルだけは昔からよく聞いていて、考えてみると瀬名秀明について語られたり何かの媒体に出るとき必ず挙げられている代表作みたいなものか。国内外のロボットテーマ小説を集めたアンソロジーなんだけど、小説以外にロボットに関する様々な「専門家」(それはロボット工学の専門家であったりロボットアニメの専門家であったりする)による解説、更には瀬名秀明本人による、それぞれの作品年代ごとの背景社会やロボット受容について書かれた総説が本書のキモと言えるでしょう。作品の内容も解説も色とりどりで、実にユニークなアンソロジーとなっています。思うに、アシモフ亡き後アシモフの後を継げるような人材は、SF世界のどこにも現れなかったのだろうなとふと。

 

総説でも解説でも繰り返し語られる「鉄腕アトム」をはじめとするロボット漫画が、日本のロボット開発に大きな影響をあるいは「呪縛」を与えていることは、これは疑いようのないところだけれど、本書刊行時点の2004年ならいざしらず、リーマンショック東日本大震災を経験した今現在の日本が、ロボット技術・ロボット工学に於いて何か先進的な地位を得て居るのかと言われれば、それは果たしてどうなんだろうなあと、読後に一抹の寂しさが残ったのはうーむ、やはりもっと早く読むべきだったかなあ。

 

ホンダのアシモが「楽団」を演じているのを見たときに、これは全然実用性の欠片もないんじゃあるまいかと危惧したのはいつだったろう?ルンバをはじめとするロボット掃除機が一般家庭に広く導入されているご時世に、人口知能学会の表紙問題とか討議してたのは、ナンセンスなんだろうな色々…

 

収録作品についてはゼラズニイ「フロストとベータ」がピカイチなんですけれど、ジョン・ウインダムが別名義で発表した「孤独な機械」がしみじみいい話である。エンターテインメントであれ、「人型機械」にこだわらなくても良いんだろうねえ。

 

ところで藤崎慎吾の「コスモノートリス」はロボットSFではなくてポストヒューマンSFではないだろうか?まあいいかそれは…