子供のころ、テープレコーダーで音楽を掛ける時、押されるボタンの名前が「再生」であることが不思議だった。
生まれて初めてレコード店で買ってきたテープ*1を初めてパッケージを開け、初めてデッキに入れ、初めて演奏をスタートさせるのになぜ「再」なのか実に実に不思議だった。
すぐにそれは記録された音、いわば仮死状態のデータを「再び生き返らせる」ことなんだなとわかったのだけれども。
今週の「ガラスの仮面」*2で、北島マヤが即興でバスに乗る演技と電車に乗る演技を行うシーン、無意識に違う揺れ方を演技したときに
「あなたの体が記憶してるんですよ。大事なのは、見る側も自分たちの記憶によって見ているということです」
月影千草の台詞で再生ボタンのことをふと思い出した。
以前、オンラインで小説を書く行為について「なぜ書くのだろう」という疑問に多くの方が「共感されたい、共感してほしい」という由の回答を――自分も含めて――寄せていて、それはつまり読み手としての立場では作品になんらかの感情移入をする、ということなのだろうと思う。*3
ひとのこころの「再生」ボタンを押せるようなものが書きたいなと、なんとなく思った。ノスタルジックななにかというのはまぁ、押しやすいボタンだろう。
もちろんそれだけではなくて他にも「発見」とか「啓蒙」とか、「サントリーミステリー大賞は審査員の知らない業界の内幕をどれほど面白可笑しく書けるか、それを2時間ドラマの枠内で納める事がポイント」とか色々あるんだけれど(笑)